購入者の希望する山(場所)に来田が赴き、そのフィールドワークや経験により制作した作品を4回に分けてお届けします。
普段、町や道から見るだけの山々、情報だけで行ったことのない風景、かつて行ったことのある自分だけのお気に入りの場所などに、来田の経験・作品を通して出会うことのできるこのプランは、Google マップやストリートビューでは体験できないものとなります。
ロット:1
販売価格:¥330,000(税別・送料込み)※交通費等実費は別途
プレミアムプランではスタンダードプランとは異なり、購入者の方が希望する場所に赴いて、そこでのフィールドワークをもとに制作をおこない作品をお送りするといった内容になります。
山に限らず島や森など、普段なかなか行くことのできない僻地や前々から気になっていた場所のここが見たいなどをご相談のうえ指定していただき、Google mapなどでは決して知り得ない私自身の実際の体験を通じて作品化することを試みます。
ただ、あくまで日本国内の場所に限らせてもらいます。
先行きがなかなか読めない状況なので可能な範囲でということになりますが、なるべくご希望に添う形でプロジェクトを進めて行きます。
私は、土地・場所と人との関係を主体的かつ俯瞰的に探るために、山をフィールドワークのひとつの拠点にしてそこから臨む風景を地図として捉え、同時に「今ここにいる」という認識を立ち上がらせることを作品制作の要素としている。
移り変わる風景のなかで「消え去っては立ち上がる記憶の媒体としての絵画(=世界との距離を確認するためのイメージ)」を求めるにあたり、私の制作は場と関わりながら展開し、そのアプローチ方法として定着しないチョークを多く素材に用いている。
また、歴史や記憶、場所や領域をめぐる事象について考えるとき、私はそこに生じる「眼差し(眼差す対象だけでなく、眼差す私のいる場へ意識)」への自覚を促すために、ある種の「境界」とされる領域からみた俯瞰的な地図をイメージとして顕在化させることを試みる。
このイメージは周囲との関係や自らの立ち位置をも俯瞰的に捉えることを可能にし、世界との距離を確認することに繋がるだろう。
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《Rooftop drawings -Bird’s-eye view of Mt. Popocatépetl》 「高松コンテンポラリーアート・アニュアルvol.05 見えてる風景 / 見えない風景」 / 《Bird’s-eye view -Landscape of 360° from Nevado de Toluca》展示風景 |
─ [m@p]について
お話しをいただいた時は正直「どうしたらいいやろ」とは思いました。ただ、そもそもコロナと関係なく、今年はリサーチで山に多く登りたいなと考えていたんですが、社会的に外出できない、移動できないということになってしまって。本来なら5月の残雪期に北アルプスで一つ登りたいところがあったのですが、そこには行けなかったり。ただ、「出るな」という状況になると、逆にものすごく「出たい」となってきて。[m@p]もどうしようかと考えていて、買ってくださった方とやりとりする方法も考えたんですが、この状況でどうやって作品つくったらいいのか自分でもわからないところがあったので、スタンダードは自分のやりたいことをやろうと思いました。とりあえず今自分がやりたいこと、それが作品になるかはわからないけれど、そのプロセスみたいなものをかたちにできたらいいかなと思って組み立てました。
─ 3ヶ月ごとに4回で1年という時間軸やサイズといったフォーマットについてはどう思いましたか?
ものすごく迷いました。ただ、去年の個展の時に物販で登山地図をイメージした折りたたみのドローイングをつくったんです。それは印刷したものだったんですけど、これをオリジナルの作品としてつくりたいと思っていたので、今回のプランに展開してみました。もともと小さいのをつくるのが苦手なので、正直A4サイズでというのは少し難しくて、どうしようかなとすごく悩みましたね。ただ、自分の身体感覚にあったサイズで、かつA4サイズに入れられるというものを考えました。
─ スタンダードの行き先が決まっているのは2回までで、1・2回目はすでに行かれたんですよね。
5月に北アルプスに行けなかったのは、外出自粛や交通機関での移動の問題もあったのですが、山小屋が閉まっていたからです。いつもテントを持っていくんですけど、山の上のテントを張れる場所はだいたい山小屋が管理していることが多く、7月頃まで山小屋自体が閉まっていたんです。だけど八ヶ岳はわりと早い段階から山小屋が開き出して、これならいける、ということで6月に行ってきました。めっちゃよかったです。それまで自粛生活だったので。
─ その時、どのぐらいぶりだったのですか?
ほぼ1年ぶりですね。面白かったのは、もちろん途中の電車などは気をつけて行ったんですけど、いざ登り始めたら必死になって、汗だくでゼエゼエなりながら登ってたんです。で、八ヶ岳の稜線上にいくつか小屋があって、休憩に入ってジュースを買ったりするんですけど、そこで「コーラ飲もう」とグーっと飲んで、爽快な気分でガラガラッと山小屋に入った瞬間に、スタッフの人に「マスクしてください」と言われて。6月なので人も少ないですが、小屋自体は密になりやすいからマスクは絶対しなければいけないので当然なのですが。それまでの非日常感や、山という環境下にいる現実が、「あ、そうやった。あれ、マスクどこやったっけ?」と急にもうひとつの現実に戻された体験が面白かったですね。
─ スタンダードについて
そもそも時間のこととか移り変わる季節や風景とか、そういうことを今まで考えながら制作してきたので、1年という時間の中で、何かできることがないか考えて、4回の発送を季節で分けたプランを考えました。同じ山でも季節によって全然違いますし、同じ山に4回登るというわけではないんですが。風景や「今(その時)こういうことを考えていた」ということを留めるのは、後から振り返った時に、それ自体がアーカイブになるようなイメージです。
─ 登る山はどうやって決めるんですか?
その時の状況ですかね。[m@p]とは関係なく、今までも山に限らないですが「次こういうのをつくりたい」とか「この場所のここが見たい」と考えて、事前にネットや本や資料で調べて、特定の場所を決めていたんですが、それでも行ってから発見すること、気づくことの方が多くて。なので、行き当たりばったりといえばそうですけど、行ってから初めて自分の身体が反応する部分などを意識したいと最近は思っています。なので[m@p]もあまり決めずに行った方が面白いかなと思っています。社会的にもこういう状況だし、今後に行きたいところに行けないかもしれないので。
─ 2回目は安達太良山に登られたんですよね。
2020年12月に福島で個展があるので、そのリサーチも兼ねて福島に行きました。福島の山はいくつか登ったことあったんですが、安達太良山は初めてでした。二本松という山形県の県境にあって、そんなに高い山ではないのですけど、前からずっと登りたかったんです。その時にカモシカに出会ったんですよ。最近は8月に熊がよく出るので、熊鈴をつけろというのは聞いていて、鈴をつけて一人で登ってたんですけど、下りの時にガサガサっと音がして、前に何かがバッと出てきたんです。はじめは「鹿かな?」と思ったんですけど、どうやら違う。向こうもびっくりして、ちょっと離れたんですが、振り返ってじーっと僕の方見てるんですよ。その先を少し行ったところに山小屋があって、スタッフの人に話したら「お客さんラッキーですよ。滅多に人の前に出てこないから」と言われました。
─ 向こうもびっくりしたでしょうね。
もののけ姫のシシガミ様みたいに。神々しさがありました。たぶん今までなら、出会ってテンションが上がってもそれを作品にとは考えなかったんですが、そういうところは柔軟になってきているかもしれないです。今どういうふうに作品を作ったらいいのか自分の中でわからないところがあって、正直に今考えてることとか感じていることをやるしかないんかなと。そこから何が見えてくるかを探るというか。
─ プレミアムについては?
山に登った際には、映像を撮ったり、その場でスケッチしたり、言葉を書き留めたりと、いろいろなことをしているんですよ。その中から4回に分けて何かを送ろうと思います。これを購入者の方が面白いと思ってくれるかは不安ですが、実は前からやりたかったことです。これまでは自分が見たい場所とか風景とかを主体的に考えて作品に展開してきました。そうして僕が描いた山の風景は、見る人によって、異なるイメージや記憶、そこから生まれる物語があると思っているんですが、その振り幅を大きくしたいなというのがあるんです。そのために、絵画のスタート地点を僕の主体ではなくて、完全に他者の主体からはじめるという、その人の目に僕がなるということを前からしたかったんです。
─ 来田さんを通して経験したものを購入者がまたその感覚を通してまた経験する、ということになりますね。
現在ではGoogleマップでみたらどんな場所かはわかりますよね。でも実際に行ってみないとわからないこともある。絵画って写真と違って何ができるのか、ストリートビューとは違う体験はどこからくるのか、というのはずっとある問題ですね。話は少しずれるのですが、福島の個展でやろうとしているのは、安達太良山に関することなんです。高村光太郎の詩集『智恵子抄』の中で、光太郎の奥さんの智恵子が二本松出身で、精神を病み死ぬ直前に病院で「安達太良山(『智恵子抄』では阿多多羅山という記載)のほんと空がみたい」と、「東京には空がない」と言うんです。それって抽象的な話で、空ってどこから見た空なのかわからない。でもその詩を読む人が色々なことを思うように、わからないけれど、それを確かめにいく。想像でも足でも。そういった「わからないけれどそれを確かめにいく」という行為を作品にしようかなと考えています。
─ 「経験する」ということについて、今まで以上にいろいろな幅や意味、あり方に鋭敏になるように思えます。
そうですね。行ったこともないし、多分行けないところに行って欲しい人もいるかもしれません。家の裏山も例えば樺太の手前のような遠いところでも、どちらもいいですね。いつもいいなと思うのは、その途中の道中なんです。往復の道中で、車や電車にのっている時の車窓がよくて、移動中にわりとハッと思いついたりとか考えまとまったりとかします。なので近くでも遠くても、そういう部分は大事にしたいなと思っています。特に、今は新幹線がガラガラだったりとか、こういう状況の中でしか見えてこない風景というのもあると思うので、それはちゃんと見ておきたいなと思います。
─ それはスタンダードにも共通していることですね。今回、最後に旅のしおりが届きますね。
実はこれが一番やりたかったことです。本みたいなものは前から作りたいと思っていて。文章が上手かったりするわけではないんですけど、今だからこそ作っておくべきなんじゃないかなと思っていて。行く前に何を考えていたとか、こういうスケジュールで動こうとか、たとえば新幹線のチケットとか、途中までのロープウェーのチケットとか、そういうものを入れても面白いのではと思っています。
─ どちらも「この状況だからこそ」を起点にしたプランですね。
[m@p]のプランを考えるということは、今のこの状況の中でアーティストがどういう風にやっていくのかということを考えることと通じていると思っています。僕はもともとPARCで個展の予定があって、それがなくなって「どうしたらいいのだろう」と思いましたが、それも今に通じています。また、「作品をつくりたい、発表したい」という高いモチベーションやテンションもあるんですけど、そういう自分の中のアップダウンするのとは違うところで、[m@p]の1年間という時間が進行していくというのは面白いなと思っています。先ほどの福島の個展のプランの話は、3.11の時に福島に住んでいて、その時にもぼんやり頭の中にあったんですよ。でも僕はずっと住んできた訳じゃないし、そこまでの当事者意識を持つことができないと思ったので寝かしていたんです。ただ今回のコロナって日本のみならず全世界のことで、自分も当事者として他者との共感や共有もできる。その感覚って今だから鋭敏かもしれなくて、だったら今できるというか今やったら面白いことを試してみたい。智恵子が言っている「ほんとの空」も色々あるだろうし、そういうのが提示できたらなと思うんですよね。