Gallery PARC[グランマーブル ギャラリー・パルク]では、2015年12月9日(水)から12月22日(火)まで、来田広大による個展「流れ山:Flowing mountain」 を開催いたします。
2010年に東京藝術大学大学院美術研究科油画技法材料を修了した来田広大(きた・こうだい/1985年・兵庫県生まれ)は、2013年『Birds-eye view』(Gallery PARC)、2014年『FUGAKU HYAKKEI』(ギャラリー昨明・福島)の個展をはじめ、2015年には『視点の先、視線の場所(来田広大/吉本和樹二人展)』(京都造形芸術大学 Galerie Aube)を開催や、『これからの、未来の途中』(京都工芸繊維大学美術工芸資料館)に参加するなど、現在までに京都・福島・東京をベースに作品制作・発表を続けています。
近年、来田はおもに「山」をモチーフに、チョークを用いた絵画制作に取り組みながらその展開を試みています。
場所を選ばず地面に絵画性を持たせるための画材として選ばれたチョークによる絵画制作は、子どもの頃に「何かを想いながら」道路に落書きしていた感覚をもとに、その後に様々な支持体とイメージによって試行錯誤されてきました。たとえば2013年の個展『Birds-eye view』では、自身がかつて実際に登ったり見たりしたことのある北アルプスなどの山々を俯瞰したイメージを描いた作品《Bird’s-eye view》や、ある場所から見渡したパノラマの山並みを描いた作品《Landscape of 360°》を発表。また、2015年の『これからの、未来の途中』では、京都と滋賀の県境に位置する比叡山をモチーフに、会場屋外の地面に巨大な「山」を描き出しています。
「何かに想いを馳せながらそれぞれの記憶を辿り、足跡を残すように場に介入していくことは、定着した固有のイメージを改めて捉え直し、その像を更新していくことではないだろうか。」と語る来田は、これまでに実際に登った山に思いを馳せながら、その時の印象や記憶を手がかりに記憶の中の山を描きます。しかし、描くに連れてチョーク粉の飛沫や伸び・擦れによる流れるような線と面は、次第に遠く朧げな“山のようなモノ”のイメージともなって表れてきます。
そして、鑑賞者にとってこの“山のようなモノ”は、遠い昔に体験した雪山登山の景色であり、テレビで見たことのある遠くの山であり、あるいは雲の流れる空であり、 荒れる海の波しぶきであり、単なる子どもの落書きでもあるかもしれません。しかし、鑑賞者は確かに絵の前で「遠く(何か)に想いを馳せる」ことを喚起され、それぞれの記憶や認識は目の前の絵画によって更新されるのではないでしょうか。
本展では、過去に取り組んできた建物の屋上や床に直接チョークで描く行為をギャラリー空間内でおこないます。床に広がるチョークは鑑賞者が歩くたびに干渉を受け、日々その像を変化させます。また、そうしてかき消され、掠れ、流れた線を受けて来田は会期中にこの絵画を更新し、描かれる山は常に流れ続けることとなります。
※来田広大は、京都工芸繊維大学美術工芸資料館が主催する「大学美術館を活用した美術工芸分野新人アーティスト育成プロジェクト」の一環として、『これからの、未来の途中』に続き開催される『93「未来の途中」の先を夢見る。』(2015.11/28~12/23・ARTZONE)にも出品しております。
会場撮影:吉本和樹
私は、土地・場所と人との関係を俯瞰的に探るために山をフィールドワークの拠点とし、そこから臨む風景を地,図として捉え、今・ここにいるという意識を立ち上がらせることを作品制作の基軸としている。
現在、人の存在と強く結びつけられた「場所」の意味が大きな変容を遂げようとしている。
「場所」や「記憶」、「領域」や「地図」をめぐる問題について考えるとき、私はそこに介在する「視線」に着目することを促すために、ある種の「境界」とされる領域からの眼差しによる俯瞰的な地図を、イメージとして顕在化させることを試みる。そのイメージは、周囲との関係や自らの立ち位置をも俯, 瞰的に捉えることを可能にし、世界との距離、また関わり方を確認することに繋がるのではないだろうか。手掛かりとして、点と点を繋いでいくように、土地と人との狭間にある「記憶」を辿り、線を引いていく。山道を一歩一歩と登り徐々に視界が開けていくように、いつしか私と世界との関係性の地図が見えてくる。
流れ山 Flowing mountain
あなたと私、向こうとこちらとの間には距離や認識の差異が存在することを予め理解した上で、鳥瞰図のような山の上を歩いて行く。
私はこれを「富士山」と認識して描くが、人はそもそも山だとも思わないかもしれない。
その “ 山のようなモノ ” を目の前にしたとき、あなたは何を想い描くのだろうか。
昨日見た海の波しぶきかもしれないし、遠い昔に体験した雪山登山の景色かもしれない。何かに想いを馳せながらそれぞれの記憶を辿り、足跡を残すように場に介入していくことは、定着した固有のイメージを改めて捉え直し、その像を更新していくことではないだろうか。
万物は常に流動するように、イメージも変容し、風景の中に新たに地図が描き加えられる。
床の上の絵画が、個々の記憶の中のイメージを供給し、 とめどなく拡がるそれらを納める器のように、そして、あなたと私の境に存在するものを示唆するように、空間の中で機能することを願う。
来田 広大