描く人として生まれた。それを自覚したのは5歳だと記憶している。
器用に蜘蛛が巣を編む、
バッタを蜘蛛の巣に投げ入れどうなるかの残酷な観察、
蟻が獲物を穴に持ち帰る道を共に歩き、
蟻地獄が巣の底で待ち続けるのを一緒に待つ、
雲の流れに感動し、空の色の変化に押し黙り、
私は自然を畏怖し、ただただ憧れた。
絵をまだ描いている。幼い頃からのお絵かきが今も続く。
描くことはスリリングで楽しくてやめることができない。そして、正解がひとつではない。
鉛筆と紙さえあればいい。そこに世界をつくる、更に色をのせる。
世界は横にも縦にも広がってゆく。
日常生活のありふれた風景を私は好む。
人が愛おしくて堪らない。
買い物袋を提げた人が横断歩道を渡る、
夜に犬と散歩する人、
昼下がり談笑する一塊の人達、
普通にある事の繰り返し。
それが私たちの生活で、生活はそれらなしでは成り立たない。
生と死も日常生活の一部と考える。
私達は平凡な毎日を送れることの大切さを知っている。
夜に寝て、朝になったら支度を整え仕事に行く、時間がきたら日に三度の食事を取る。
話をし、笑い合う家族がいる。
戦渦の中にあっては、決して成り立たない、退屈なくらいの毎日がどれだけ貴重かを。
私はまた、物事に二面性がある、そのように思う。そのようにして、見る癖もある。
散歩を例に挙げれば、「ペットに運動をさせている飼い主」という見方と、「飼い主がペットに連れられている」という見方。その二つの関係を観察するのが好きなのである。
表裏一体、表と裏がつくるひとつの事象。
このように描かれる絵は、それだけでは完結しない。
絵を展覧し、人がそこで立ち止まり、何かを感じる。また、ふと何かを思う。
または、何も思わない。観る人あっての絵。
全く異なる人生を送ってきた人と私の絵が交差する瞬間。
その瞬間のために絵を描くのかもしれない。
日常生活を送れる限り、私は筆をとる。絵を描かずにいはいられない。
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─[m@p]のプランを考えるにあたり考えたことは?
「こういうのんよく考えはるなぁ」と思いました。展覧会をやりながらこれをやるということではなくて、完全にシフトしたというのがすごいなと思いました。私はたとえ発表する機会がなくなったとしても、絵を描くと思います。なんか知らへんけど『今それを描いておかないともったいない』ではないけれど、今、その時にしか描けない絵があると思っているので。なので、発表が出来るにしろ、出来ないにしろ、今できることを何かしておきたいと思い、[m@p]もぜひやってみようと思いました。
─サイズなどの制限があることが大変だという作家が多いのですがベリーさんはいかがですか?
私は子供たちを対象とした教室をしているのですが、その中でいつも、1ヶ月の予定を立てて課題を決めるということをしています。子供たちに対しての課題は自分に対する課題でもあるので、条件に対して考える癖がついています。
[m@p]の条件もそれと同じようなものなので、特に大変ではなかったです。
─普段、どんな課題を出すんですか?
例えば今月は紙版画です。ただ、バレンでこするんではなくて足で踏んでやろうと思って。「踏み版画」って勝手に名付けてやってるんですけど。まずはざっくり考えて、そこから細かいところを詰めていくということを11〜12年ぐらい、常にやっているので、自分の考え方に影響を与えているかもしれません。
─m@pのスタンダードプランは、扇子、木彫り作品、彩色桐箱など、様々なものが届くんですね。
私は絵だけをやっているとつまらないなと思うので、色々出せたらいいなと思ったので。例えば、自粛の期間にオーブンで焼く陶の粘土を作り始めたりしたんですが、そんなふうにいつも色々やっていて、何をやっても楽しいんです。そうして、その時に面白いと思ったもの、楽しいことを季節ごとにお裾分けするような。
─ベリーさんは額も自分で彫ったり作ったりされていて、額も絵画と同じ軸線上にあるような、画面と地続きのもののように感じます。額から絵やパネルや佇まいもひっくるめて一つの作品になっているような。絵だけでなく、いろいろなものがひとつに合わさって、繋がっている。それは四季折々の自然環境の中で、その時々で遊んできているところとも一本につながっていますね。
そうですね。私にとっては遊びというものも重要ですから。
─何かをつくるために枝を探すのではなく、いい枝があったから何かつくる、というところがありますよね。そんなかたちで、四季折々、ベリーさんの手のもとで生まれてきたものが色々とおすそ分け的に届くのがスタンダードなんでしょうね。
やはり、季節の移り変わりが影響してくるので、自然とともに生まれてきたものをお送りしたいと思います。ただ、m@pのために考えたつもりではあるけれど、おそらくわりと自分が普段からやっていることだと思います。
─ベリーさんの営みに近づいて、「つくっていて楽しかったのだろうな」と想像してもらえるといいですね。消しゴムはんこもおまけとして毎回つくとのことですが、これもずっとつくられているものですか?
そうですね。NYにいた時に版画をやり始めて、その時はエッチングをやっていました。エッチングだとプレス機が必要で、大がかりになるのでお手軽なものとして、消しゴムでやってみようと始めたものです。お芋のハンコも多用しています。
─第1回目は扇子ですが、今までにも扇子に描かれたことはありますか?
ほぼないですね。今回は扇子型の紙に描いて扇子屋さんに仕立ててもらいました。
扇子として使えるというところも、絵はなかなか「使う」ということができないので、面白いです。
─プレミアムは小作品とドローイングですね
購入者の方となるべく対話したいと考えています。そして、その対話の中から出来てくる作品・絵にしたいと思っています。例えばその方が好きな花を入れたりとか、好きな色を使ったりとか、楽しく相談しながらできたら面白いなと思います。普段はそういう機会もあまりないので。額もその方が欲しかったらつけますし、臨機応変に対応いたします。
─ベリーさんは絵の描き方に特徴があって、長い棒を使って、パネルをまわしながら描くんですよね。何かを再現するものとして描くのではなく、イメージを発見するために絵を描いているところがあるとおもいます。発見したイメージをかたちにしようと思って描いて、またそこに発見して、という発見の積み重ねで、だから絵がどんどん描けるし、ゴールがないのではないかと。
そうですね。だからどこで完成かというところは難しいんですけど、あるポイントがきたら終わることができるんです。