Gallery PARC[グランマーブル ギャラリー・パルク]では、2016年9月10日(土)から9月25日(日)にかけて、山本聖子による個展「色を漕ぐ:Swimming in Colors」を開催いたします。 2004年に大阪芸術大学芸術学部美術学科立体コースを卒業、2006年に京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術表現専攻を修了した山本聖子(やまもと・せいこ 1981年京都生まれ)は、おもに彫刻・インスタレーション作品の発表により、2011年には六甲ミーツ・アート芸術散歩2011公募大賞受賞、Tokyo Midtown Award 2011アートコンペグランプリ受賞などで注目を集め、以後も積極的に発表に取り組んでいます。また、近年ではメキシコ(2013~14年)やオランダ(2014年)など海外へのレジデンスに積極的に参加しており、その作品も彫刻のみならず映像・インスタレーションへと展開しています。 ニュータウンで生まれ育った山本は、画一的にデザインされた都市空間と、その中にあって不確かに揺らぐ自らの身体との違和感を覚え続けてきたといい、その不安や疑問に端を発したかのような作品を制作します。不動産チラシの物件間取りを切り抜き、ラミネートした後に再度切り抜いたピースを無数に接続し、圧倒的なサイズの面へと展開した『間取り図』作品は、無数の「画一」が集合した地平に、有機的で混沌とした美しさが潜むことを「探し・求めた」ものであるといえ、その探求は山本の感じる「都市と身体との不整合」を統合するための切実なものであったといえます。 また、2013~14年の海外でのレジデンスを契機に、この探求は個人的・平面的・物質的な視点から、様々な都市と人、その足元の大地や歴史などを含めた立体的な視点をもって展開されることになります。2015年のGallery PARCでの個展「白い暴力と極彩色の闇」において、これまで作品の大きな要素となってきた身体性や物質性のあいまいさは、「色」という要素に重ねられ、より多層化したテーマとされました。 我々にとって身近で、かつ実はその正体を規定しえない「色」を作品の要素としたことで、山本の個人的な違和感や探求は、鑑賞者にとって様々スケールやリアリティでの読み替え可能なものとなりました。水槽の中に入れらた様々な色彩(染められた紙片)が混じり合い、次第に「闇」となる作品《 Darkness 》や、自身のパフォーマンスにより、世界地図の上に立てられたカラフルな無数ロウソクが一斉に燃え盛り、黒く煤けたロウが溶けて次第に世界を覆う様子を捉えた映像作品《 極彩色の闇 》などは、山本の内なる感覚と世界が「ただ」ようやく繋がったものとして見ることができます。 本展覧会「色を漕ぐ」が、こうした近年の山本の取り組みを引き続き展開させるものとなります。これまで、世界を水面に浮かぶ色の様相として「見渡す」かのように捉えていたのに対し、「漕ぐ」という能動的な言葉が接続された本展では、自身を含めた様々な色が混じり合い、うねり対流する世界を海という塊と捉えるとともに、そこに飛び込み、漕ぐという意志を持つ「私」のあり方によって、ふたたび世界と自分の存在を確認するものです。
“世界”と“自分”を確認する
私が幼いころから育った場所は、“千里ニュータウン”という1970年の大阪万博に伴って開発されたニュータウンだ。それは当時、“未来都市の象徴”であっただろうし、そして現在も、高層マンションが立ち並び、生活に必要とされるものは全て完備された、何不自由ない便利で美しい、落ち着いた街である。
しかし私はこういった街の様相に違和感があった。人々は与えられた場所で与えられた方法で同じように生活し、“プライベート”や“個性”は極端に守られ、人間が生きているなら生じるであろう“手ざわり”のようなもの、“におい”のようなものが全く感じられないのである。目の前の世界は、どこを取っても無機質で、均質化しているように思われた。私はそんな風景の中で、五感が麻痺し、自分自身の存在が稀薄になっていくかのように感じられた。
私の制作の根底には、このような身体への焦燥感がある。つまり、作る過程で素材のディティールを知ることや、単純作業で身体を繰り返し使うことは、私にとって“世界”と“自分”の存在を確認するための、最初の方法であったと言える。
そして今は、自分の身体そのものを世界の中に放り込み、そこで生きてみることによって、やはり同じように“世界”と“自分”を確認している。
そこから生まれる表現は、呼吸のように、あるいは風景画ように、目に映る世界や他者を反映しているに過ぎない。しかし「私にはこう見える」と晒していくことが、私を生んだ社会に対する問いになると信じている。
2014年12月01日
山本 聖子
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