ギャラリー・パルクでは、3月3日[火]から3月22日[日]まで、山本聖子による個展「 白い暴力と極彩色の闇 」を開催いたします。
2004年に大阪芸術大学を卒業、2006年に京都造形芸術大学大学院を修了した山本聖子(やまもと・せいこ/1981年・京都府生まれ)は、これまで京都・東京での個展による発表の他、国際芸術センター青森でのレジデンス(2010年)、VOCA展出品(2011年)などに精力的に取り組み、六甲ミーツ・アート芸術散歩(2011年)にて公募大賞、東京ミッドタウンプログラム:ストリートミュージアム(2011年)にてアートコンペ・グランプリを受賞するなど、その作品は高い評価を獲ています。その代表作でもある、不動産の挟み込みチラシにある「間取り図」を丁寧に切り取り、ラミネートパウチして再度切り抜いた無数のパーツを再構成した一連の立体作品は、私たちの生活空間の無機的な画一性とともに、タテとヨコの線へと還元された「間取り図」が、なおも見せる有機的な美しさをあわせて見ることができるものです。また、2012年のGallery PARCでの個展「円の手ざわりはつるつるかざらざらか」では、その間取り図による作品のほか、「巨大な三角形が指し示す宙づりのアンパン」などによるインスタレーションを発表し、「内:外」あるいは「向こう:こっち」といった関係項に存在する「距離」「違和」「美の在り処」、そのリレーションを探るための空間を創出しました。
手による作業を重視し、その過程で素材や展示空間のディティールを確認しながら、そこに状況や空間を創出してきた山本は、本展「白い暴力と極彩色の闇」では、初の試みとして映像作品5~6点を展示いたします。これらは山本がレジデンスプログラムにより滞在したメキシコ(2013~14年)、オランダ(2014年)での経験と思索を基に構想されたもので、作家にとって映像による作品制作は初の試みとなるものです。
本展に際して山本が映像を表現媒体に選ぶに至ったのは、はじめて訪れた土地を手探りで知る中で、その記録としてビデオカメラをまわしたことがきっかけですが、その土地や歴史を知る中で、次第に山本の内に芽生えた疑問や違和感をテーマに、「見たもの・感じたもの」を「今」にリニアに出力し、広くリフレクション(反照)させる媒体として映像による表現が適していると考えたことが挙げられます。そして、「私の中にある明確な答えを他人に向けて表現するためのものではなく、私が世界や社会から受け取った何かをリフレクションすることで、なんらかの問いになることを期待してつくっています」として取り組まれた映像作品は、「いま・ここ」に至る山本の『解』ではなく、「これから・ここから」への『問』として発されたものといえ、そのために本展においては、ひとつのカタチを示す造形物ではなく、時間をともなう進行形の映像を表現素材としています。
2012年のGallery PARCでの個展以来、3年ぶりとなる本展は、メキシコ・オランダ・日本で制作された5点の映像作品を中心に、会場でのパフォーマンスにより制作された作品などで構成いたします。また、会期中にはアートマネージャーの内山幸子氏をお招きしたトークイベントを開催。山本のレジデンスでの経験や気づきを交えた「対話」によって、ここから先の見えないカタチの輪郭を探ります。
“世界”と“自分”を確認する
私が幼いころから育った場所は、“千里ニュータウン”という1970年の大阪万博に伴って開発されたニュータウンだ。それは当時、“未来都市の象徴”であっただろうし、そして現在も、高層マンションが立ち並び、生活に必要とされるものは全て完備された、何不自由ない便利で美しい、落ち着いた街である。
しかし私はこういった街の様相に違和感があった。人々は与えられた場所で与えられた方法で同じように生活し、“プライベート”や“個性”は極端に守られ、人間が生きているなら生じるであろう“手ざわり”のようなもの、“におい”のようなものが全く感じられないのである。目の前の世界は、どこを取っても無機質で、均質化しているように思われた。
私はそんな風景の中で、五感が麻痺し、自分自身の存在が稀薄になっていくかのように感じられた。
私の制作の根底には、このような身体への焦燥感がある。つまり、作る過程で素材のディティールを知ることや、単純作業で身体を繰り返し使うことは、私にとって“世界”と“自分”の存在を確認するための、最初の方法であったと言える。
そして今は、自分の身体そのものを世界の中に放り込み、そこで生きてみることによって、やはり同じように“世界”と“自分”を確認している。
そこから生まれる表現は、呼吸のように、あるいは風景画ように、目に映る世界や他者を反映しているに過ぎない。しかし「私にはこう見える」と晒していくことが、私を生んだ社会に対する問いになると信じている。2014年12月01日
山本聖子
|