ギャラリー・パルクでは、2013年5月21日[火]から6月2日[日]まで、山本雄教による個展「What is there:コメをみる※コメにみる」を開催いたします。
成安造形大学日本画クラスを卒業、2013年に京都造形芸術大学大学院美術表現専攻日本画領域を修了した山本雄教(やまもと・ゆうきょう/京都・1988~)は、これまでに日本画の画材・技法だけにとらわれない作品制作を続けています。
山本はおもに日本画材を使用し、点字ブロックや1円玉、電柱やエスカレーターなど、日常見慣れた対象を取り上げることで、そこに当たり前でありながらも不可思議な光景を出現させます。絵画的なイリュージョンを過度に盛り込む事無く、対象に向ける眼差しの確度・距離を違える事で描き出される画面には、私たちの「見る・知る」世界の少し違った姿が描き出されます。
本展ではそのテーマに「米」を取り上げ、パール顔料などの光沢性を帯びた画材により線描で描かれた作品を中心に構成されます。鑑賞する時間帯によっても変化するその作品を通して「コメを見る」ことで、鑑賞者は普段食べている米に思いを馳せる、あるいは全く関係のない何かを「コメに見る」かもしれません。
山本作品を通じて、日常の視界に潜む多様な視覚体験をご体験ください。
茶碗に入った一粒の米、財布に入った一円玉、そんなすぐそこにあるものこそが、実際はあらゆるものにつながっている。
「一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入るでしょう。」 これは日本画家の小倉遊亀が師の安田靫彦から受けた言葉です。 これは描く対象に無心で接することを説いた言葉ですが、私はその本来の意味とともに、葉っぱという小さな対象が宇宙という遙かにスケールの大きなものにつながっていくところに、視界が一気に開けるような感覚を覚えました。
一枚の葉っぱが足下に落ちていたとしても、見ようとしなければそれはただの葉っぱでしかなく、あるいは葉っぱですらありません。しかしひとたびそこに目を向ければ、そこには宇宙を見るかのような世界が広がっている。安田靫彦の言葉から、私はそのような思いを持ちました。 私はそんな広がりを、日常生活の中で見落としてしまいがちな些細なものから見つけたいと思っています。 例えば一粒の米から、一円玉から、自分の暮らす社会や世界全てにつながるような感覚を得られたら、それはまさに目の覚めるような出来事です。
ミクロの世界が、様々な問題、疑問、不安、面白さ、希望を含んだマクロなものに変わっていく、そんな体験をすることができる作品を私は生み出したい。 一粒の米が手に入ったとき、宇宙全体は手に入るだろうか。
山本雄教