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ふるさか はるか
Furusaka Haruka

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Works

Statement

ー 「トナカイ飼い達にとってトナカイの毛皮は、厳しい冬の寒さから自分たちを守る一番大切な手工芸よ。」とトナカイ飼いの娘は答えた。 *1

手工芸は大抵、それを使う環境に合わせて身近な天然素材で作られ、その土地の人と自然を関係づける道具となる。北極圏に住むサーミの人びとの場合、古来遊牧してきたトナカイから取る毛皮は、時に-40度にもなる厳しい冬の寒さから身を守るための衣服となった。身近な自然の形を借りて作った道具で、その自然の厳しさから身を守るのだ。自然を受け入れ作る思考は、私達の心身を守る術となる。私は手工芸にまつわる会話をきっかけに、厳しい自然と協調して生きる人々の言葉と手仕事を取材し制作に取り組んできた。

手仕事の取材は、当初木版画の技術を学ぶために必要に駆られて始めたことだった。木や和紙、自然素材の扱い方を学ぶために、思えばたくさんの人びとから話を聞いてきた。身近な自然素材を用い、時と共に収斂されてきた日本の木版画は、絵にその風土が映し出される絵画だと考えている。取材と土地々々の自然素材を結びつけて実験を繰り返すうちに、土を拾い、藍を育てて絵の具にすることにたどり着いた。

サーミの「自然と協調する」手工芸のあり方にならって木版画を作ろうとするとき、土や木の持つ色・形と私の思い描くイメージをすり合わせるように絵を描いていく。木の固有なシルエットを版画に写し取るには、その一枚の版木のみを使って、複数の色を刷り重ねなければならない。そのため一色を刷り終えるごとに版木の一部を彫り、今度は異なる色を刷り重ねることになる。彫っては刷るのを繰り返して木版画が完成した時には、版木は彫り・刷りの痕跡を残してその役割を終える。《葉隠れ》の版木には、彫り去った部分に土を埋め込み、版木としての役割を終えた木を埋葬して「自然に返す」という意味を込めた。


ー 「蚊の軍隊が私たちのマーツェ(村)を守っているの。」とエレン・アンナ・ヘッタは言った。 *1

新型コロナウィルスの流行期に、展覧会準備のために浅間山の麓を訪れた。雪に覆われた煙くすぶる山頂を見上げながら、いつ噴火するかしれない火山の麓で暮らす人の心情とはどのようなものだろうと想像してみた。コロナ禍に直面し、予想のつかない現象にどう対処すれば良いのか、都会で熟考と無力感を繰り返してきた私は、火山という予期できぬ脅威についても考えずにはいられなかった。山の姿を見ているうちに、張り詰めた心の糸がプツンと切れる音を聞いた。浅間山はきっと、古来恐るべき自然の象徴として瞭然とそこにあり、畏怖を忘れてはならぬと麓の人びとを戒め、その暮らしの、人びとの生の純度を研ぎ澄ませてきたのではないだろうか。いつ自然に飲み込まれるかもしれないと意識することができる、それが浅間山の麓で生きることの真意なのではないだろうか。たとえ今はそんな畏怖の念から離れて人びとが暮らせているとしても、目に見えないウィルスとは違い、火山は眼前にある。忘れようがない。

私がサーミの人びとに惹かれたのは、そんな恐るべき自然と共に生きる術を知りたかったからかもしれない。彼らとトナカイの暮らしについて都会の人に話した時、「なぜ人間はそんな過酷な北へと移り住んだのだろう」と聞かれたことを思い出す。そして「サーミ人というのは…鼻の頭に風が吹き付けていないとダメなのです」*2というヨハン・トゥリの言葉も脳裏によぎる。過酷な環境に暮らすのには当事者にしか知りえない辛さがあるに違いないが、厳しさの中で感覚を研ぎ澄まし、生きた心地を確かめながら行動することに真価がある。そう思えば、恐るべき自然と協調して暮らすことの方が都会にいるよりも居心地が良いということを、多くの人は知らない。

しかし私の住む大阪でさえも、目には見えずとも本来恐るべき自然がいつだってそこにあるはずで、そのことを私たちは忘れてきたのか、見ないふりをしてきただけなのだろう。人が密集する環境に適した新型コロナウィルスに遭遇し、人びとは右往左往してしまう。いつ噴火するかわからない浅間山の元に生きることと比べ、都会は安全であるというわけでもないのだ。大切なのは、どこにいようと抗えぬ自然の厳しさの中にあると想像し、その自然に依って自らの身を守る術を持つこと。その術は私にとって芸術であり、同時にそれは生きる術なのだろう。私はコロナ禍の都会で移動や収入を絶たれてもなお、作品制作においてやることが尽きないのを目の当たりにし、そう再認識した。そうして今年も庭に藍の種を蒔き、土を水で漉し、絵の具を作る。

ー 彼ら(サーミ)にとって前に進みながら知識を得るという考え方は、第二の天性だった。動くことによって知るのではなく、動くことこそが知ることなのだ。*3

*1 木版画シリーズ《トナカイ山のドゥオッジ》より引用
*2 出典:『サーミ人についての話』ヨハン・トゥリ著, 吉田欣吾訳, 東海大学出版会, 2002
*3 出典:『メイキング』ティム・インゴルド著, 金子遊+水野友美子+小林耕二訳, 左右社, 2017

CV

Biography
1976
大阪府生まれ

1999
武蔵野美術大学 造形学部油絵学科卒業

2010~
木版画アトリエ空中山荘 主宰


Selected Exhibition

2022
個展「積層の器 ことづての声 / A Vessel in Layers - The Voice of Lore」(Gallery PARC / 京都)

 

2020
「The future is in nature」 (ルオムの森 / 群馬)

2017
「土のことづて」(国際芸術センター青森 / 青森)

2015
「Due North/Snow」(C. R. Ettinger Studio / アメリカ)

2014
個展「トナカイ山のドゥオッジ」(ギャラリーパルク / 京都)
第2回国際木版画会議 「Group Projects "The Contents"」(東京藝術大学 / 東京)

2013
eno-co-labo vol.1「木版風景:木はわたしの鏡」(大阪府立江之子島文化芸術創造センター / 大阪)

2012
個展「Twinkles on Mountains」(Cafe by the Ruins / フィリピン)

2009
国際版画会議 IMPACT 6「Surimono / international」 (University of the West England / イギリス)

2007
個展「USM International Print Exhibition」(Universiti Sains Malaysia / マレーシア)
国際版画会議 IMPACT 5 「A Time and a Place」(Deco Gallery / エストニア)

2004
個展「FROZEN BUSH」(ギャラリーなつかb.p / 東京)

2002
個展「Freezer」(ヴァーサ市立図書館」 / フィンランド)

Workshop and Lecture
2017
国際芸術センター青森(青森)

2016
兵庫県立美術館(兵庫)

2015
滋賀県立近代美術館(滋賀)

2014
Hapao Elementary School, Baguio City High School(フィリピン)

2013
滋賀県立近代美術館(滋賀)

2012
江之子島文化芸術創造センター(大阪)
Lagan Elementary School, Namatec High School(フィリピン)

2007
University of South Carolina, Columbia Museum of Art(アメリカ)

2004
Mason Gross School of the Arts, Moore College of Art & Design, Philadelphia University, the University of the Arts, Tyler School of Art(アメリカ)

Residence
2017
国際芸術センター青森(青森)

2007
アーティスト・イン・レジデンス・アット・伊賀2007(三重)

2003,2005,2011
Art center in Máze, (ノルウェー)

2002
Ateljé Stundars(フィンランド)

Collection

Svenska Österbottens Förbund(フィンランド)
University Sains Malaysia(マレーシア)