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Artists Interview
ふるさかはるかArtist InfoOnline Store
ひとつの木を丁寧に彫って版木として、土や藍からなる色を載せて、刷る。 その版木をさらに彫り進め、次の色で刷り重ねる。
こうしてひとつの版木を「彫り・進める」技法は、いわゆる「彫り進み木版画」とも呼ばれ、量産・複製が可能である「版画」において、それが不可能な「版画」をふるさかはるかは手がける。
2014年の個展「トナカイ山のドゥオッジ」では、その特徴的な思考・技法により、北極圏に暮らすサーミ人の歴史や暮らしを題材にした作品群を発表したふるさかは、その後も各地の土地や暮らしへのリサーチを続けています。

2020年から[m@p]meet @ postプロジェクトに参加いただいたふるさかさんに、全4回の発送を終えられたこの機にお話を伺いました。
ふるさかはるか 制作スタジオ
2014年の個展とその後

ふるさかさんには2014年に個展「トナカイ山のドゥオッジ」を開催いただいています。この展覧会はどのようなものだったでしょう?

〈トナカイ山のドゥオッジ〉は、北欧の先住民で自然と協調して生きる人びと(サーミ)のことばを取材した初めてのシリーズで、無垢の木のカタチを活かすために彫り進み木版画の手法を取り入れ始めた頃の作品です。それまで試してきた技術・素材・テーマの3つの関わり合いに焦点を絞り込むことのできた展覧会で、今でもその手法や方法を高めたいと思って作品制作に取り組んでいます。そういう意味で、分岐点となった展覧会だったと思います。【*1】

前回の個展から7年の月日が経っていますが、作品や活動の内容に変化はありましたか?変化があったとすると、それはどのような変化でしたか?

〈トナカイ山のドゥオッジ〉ではサーミの人びとのことばを取材したのですが、どこか遠い国のおとぎ話のように受け取られてしまうこともあるような気がして。それなら日本の各地で同じような取材をして作品を作り、そこに共通点や違いを見つけて表したいと考えました。そうすれば言語や地域性、時代にとらわれず、根底にあるテーマを補強できるだろうし、今までとこれからに見聞きしていくことが点から線になって、いつかもう一つの大きなアウトラインが現れてくるのではと思っています。そうした思いから、近年は青森の山仕事を取材し、関連することばや伝承を調べたりしています。

青森取材後の変化としては、藍染からヒントを得て、自分で藍を育て絵具を作り始めました。【*2】それまでは土絵具を自作して使用していましたが、土には青色がないので、色の展開が増えたことは私にとっては大きな変化でした。藍の絵具づくりの実験には1年を要しました。もちろん取材にも時間はかかりましたが、青森で手に入れたヒバの木材を乾燥させるのにも結構な時間がかかりました。そうなると瞬発的に作ることがしたくなって、ひとまずドローイングを描くようになりました。ドローイングは藍の絵具を試すのにもいいし、直感的にできるのが楽しいです。木版画ではプロセスの計画を立てる必要があるし、材料を整えるところから実際の版づくりまで時間もお金もかかりますから。

  • 【*1】2014年「トナカイ山のドゥオッジ」展示風景 >Exhibition Info
  • 【*2】藍の栽培、絵の具づくりの様子。

*1

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2020年から現在までの活動について

PARCでは昨年に一旦スペースを閉鎖しておよそ1年が経ちました。ふるさかさんにとっては、この1年はどのようなものでしたか?

コロナの影響でワークショップや目指していたことの中止が相次いだものの、グループ展は開催することができました。
そんな中でも、スタジオでできることはそれまでの日常と変わらないのが不思議でした。そもそも自主制作は誰かに求められてやっていることではないから影響を受けないのでしょうね。かたや小さなコミュニティーアートの活動として取り組んできた「空中山荘」という名の木版画教室では、休業や教室展の延期を余儀なくされました。そこからはできるだけ生徒一人ひとりの意思が尊重されるよう慎重に運営を進めていたのですが、いろいろと見通しがつかない中である生徒さんが「なんでも中止になる中で、教室展ができるように考えてくれて、希望が持てました」と言ってくれました。ちょうどコロナ禍で『文化が後回しにされている』と云われていた時期だったんですが、むしろこういう時に必要とされているのが芸術なんやな、と思えたのは新鮮でした。そんなこの1年の体験もあって、「アーティスト」は奪われない「いい職業」、社会の伸びしろを担っているんだと確認できたと思います。

また、PARCの[m@p](後述)という取り組みに参加する流れから、これまで温めてきたアイデアから〈ソマの舟〉という作品シリーズ【*3】の枠組みを作ることができました。あと、ずっとウェブサイトのリニューアル作業をしていて、オンラインでの作品販売を始めたのと、木版画のオンライン教材の制作などをしています。それ以外にも少し時間に余裕ができて文章を書く機会が増えたので、文法を再確認したり、タブレットで線画を描く練習をしたり、筆のタッチの練習をするなど、今まで後回しにしてきた基礎練習をしています。

  • 【*3】〈ソマの舟〉より《 Watching the other side 》部分 >Online Store

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[m@p]meet @ postについて

PARCでは、昨年7月に[m@p]というプロジェクトを立ち上げました。こちらにふるさかさんにもご参加いただているのですが、角2封筒サイズの作品を1年で4回発送するというこのプロジェクトに取り組んでみて、いかがでしたか?

青森の取材から温めてきた〈ソマの舟〉の構想が、4回に分けて作品が展開していく[m@p]という仕組みににピタリとはまりました。〈ソマの舟〉は取材した言葉をきっかけに展開していますが、展覧会といった作品やテキストを一堂に並べて鑑賞するものではなく、絵本のページをめくるように一点ずつ作品を手に取って見てもらえたのが良かったです。また、4回の連続性を表すのに、一つの木片を回が進むごとに割って版木にしていく方法も、かねてからやってみたかったことでした。【*4】ただ、「4回に分けて郵送する」などといった仕組みは、私一人で考えてできることでもなかったと思います。版木は最後このようになりました。【*5】どんどん小さくなっていくので彫るスペースも小さくなります。

土を拾って絵具にしたり、雪の上に赤ビート(てんさい)を芋バンにして点描したりと【*6】、昔から「なぜわざわざそんなことしているの?」と方法論的によく言われるんですが、以前から、去っていくものに対して「それはあった」と思いたい願望があって、それを自分に手繰り寄せるために木版画のような古典的な手段を選んでやっているのかもしれません。
[m@p]に取り組んだおかげで、一通りの枠組みができたと思うので、そこに今まで取材してきたことを当てはめていって作品を増やしていきたいし、もう少し大きい作品であるとか、〈ソマの舟〉という枠組みの中でやりたいことというのが、頭の中にはっきり出てきたなという感じがしています。

 

*[m@p]meet @ postプロジェクト>more

  • 【*4】[m@p]スタンダード初回にお届けした木版画と版木。
  • 【*5】4回の制作を終えた版木。
  • 【*6】《Meteorite Root》 Ateljé Stundars にて (フィンランド 2002)

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[m@p]では第二弾のリリースを予定していますが、それに向けて、どのようなことを考えていますか?

〈ソマの舟〉のvol.2として、青森や岩手で取材した漆の仕事にまつわることを、vol.1と同じ形式で作りたいと思っています。
青森に行って山の暮らしを取材する中で、手工芸を取材したり、マタギを訪ねて道具などを見せてもらったのですが、そこから彼らが自然とどう付き合いながら暮らしているかが見えてくるんです。【*7】例えば津軽塗という漆の工芸も、ろくろで器を作る木地師という人がいて、漆を掻く人【*8】がいて。そこから材料が出来てようやく漆塗りになります。塗師だけが作ってるのではなくて、そこには山と関わる多くの人たちがいる。その人たちは 「ソマ」という林業系の人たちなんですが、ひとつのことをしているわけではないんです。例えば、昔は塗師の人に「こういう木材のこういうサイズのものが欲しい」と言われたていたら、木を切り出す時にそういう木を拾ってくるとか、ついでに漆を掻くいてくるとか。山を歩く人たちなのでマタギをやっていたりもしたそうです。そういった山仕事に関わる人の話を聞いたり、本で調べたりとかしているうちに、山は山だけで完結しているわけではなく、北前船とも密接に関わる文化があり、海と繋がっていることもわかりました。
また、例えば同じような話が北陸の方でもあるということを知ったことで、文化や風習の範囲にも広がりが見えてきました。だから、マタギだけにフォーカスしすぎると、局所的な伝説的な人たちの話として説明が必要な作品になってしまうように思い、それは避けることにしました。もう少し包括的な繋がりを意識し、どこにでもありえるような、ちょっと想像しやすいこととして描きたいなと思っています。だから vol.2も、青森のとあるひとつの場所の話ではなく、基本的には東北あたりが多くなると思いますが、漆にまつわる色々な話を溜めてあるので、それを4回・4作品に割る、前回と同じ手法でやってみようと思っています。

*m@p 第二弾は12月頃から販売開始を予定しています。

  • 【*7】青森でのリサーチの様子:マタギの山中泰彦さんはロクロで木地も作るし漆も自ら掻いて器を作る。
  • 【*8】青森でのリサーチの様子:津軽塗の塗師・木村正人さんには漆掻きの現場を見せていただいた。

*7

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オンラインストア取り扱い作品について

現在、[parcstore]で、[m@p]の他にも、ふるさかさんの作品を販売しています。こちらはどのような作品ですか?

〈トナカイ山のドゥオッジ〉からの作品3点と【*9】、青森を取材した時に描いた小作品1点です。前者はサーミの「自然と協調して作る」手工芸の哲学と、「厳しい自然によってその自然から身を守る」ことをテーマに描いたシリーズです。青森の作品も同じような観点から取材したことを、小作品で試しながら描いています。後者の小作品《Ancestor》は、青森の御山参詣(おやまさんけい)という祭りを取材した作品です。【*10】

私は先住民や山に生きる人びとを取材して制作していますが、もちろん民俗学の研究者ではないです。サーミの時も興味の赴くままにそういう集落に辿り着いただけで(そういう人たちがいるからアーティスト・イン・レジデンスがあるのですが)、その成果を論文に書きたいであるとか、民俗学的に何か成果を出したいであるとかではなく、単純に「知って考えたことを描きたい」と思っているだけです。つまり、すごく個人的なことなんです。取材を通して話をしてくれた友達のデリケートな気持ちを標本みたいに切り取ることもできないし、彼らの話を代弁することもできないけれど、私がどう考えたかは言うことができます。また、そうではないと相手も話してくれないですし、結果的に取材した人のものを借りてしまうだけの作品になったのでは、その人たちに受け入れてもらえないだろうと考えています​​。自分に引き寄せて、自分の考えとして出して、自分で責任を取ろうと思ってやっています。

今後に[parcstore]に出品したい作品はありますか?

[m@p]に組み込んだ作品《夜営》と〈ソマの舟〉のシリーズ4点の単品販売を始めましたが、他にはドローイングと〈ソマの舟〉のリーフレットも、いずれ取り扱っていただけたらと思います。

 

*〈ソマの舟〉のシリーズ4点と、リーフレットも取り扱いをはじめました。>Online Store

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今後の展望

これから取り組みたいと考えていることや、今後の活動予定を教えてください。

〈ソマの舟〉の枠組みを埋めていくように作品を作って、展覧会がしたいです。また山仕事の取材をしに青森・岩手・秋田の東北と、前回の取材で知った北前船と関わり合いが深い福井県、木地師発祥の地と言われている滋賀県に行きたいです。木版画やドローイングは、どこかの紙媒体で連載してもらいたいと思い描いています。実際に〈ソマの舟〉のリーフレットとポストカードを関係者にお送りしたら、「聞くのと紙で届くのとでは実感が違う」「紙媒体で伝えたい作品」という感想をいくつかいただきました。[m@p]で得た時間軸で展開する作品の変化というのは、連載という形式によく合うと思います。

また、2020年に個展「The future is in nature」【*11】 を開催した北軽井沢への移住に向けて動いています。
元々、移住願望はあったのですが、様々な状況もあって大阪でアトリエと自宅の2つの場を持ちながら暮らし続けていました。そんな中で昨年、北軽井沢でのグループ展の搬入に行ったんですが、ちょうど最初の緊急事態宣言が出たタイミングで、初めてのことだったので何が正しいのか分からず混乱しました。でも、北軽井沢の自然の中で変わらない日常があるのを見て、大阪でわけがわからない人為的な恐れの中で暮らしているよりはいいのではないかと思ったんです。目の前に浅間山がある土地なので、噴火して火砕流に飲み込まれるかもしれないという恐さはあるけれど、見えないものや人為的なものに対する恐れを抱えて生活するより、あらがいようのない自然が目の前にある方が生きている実感がわくと思ったんです。サーミを取材した時に、彼らには「自然によって自分をその自然から守る」という考え方があるのではないかと思ったこととも繋がりました。厳しい自然環境の中で彼らはトナカイの毛皮を使って防寒具を作ったりだけではなく、「ここは蚊がたくさんいるから人を寄せ付けない楽園だ」と話していたりしました。彼らの言う「厳しいところにいるからこそ守られている」ことを、浅間山を見たときに感じたんです。それに、森の匂いがフィンランドにすごく似ていて思い出したんです。北欧への移住や留学を考えていたこともあったので、住みたかったところと匂いが似ていることも決め手になりました。

北軽井沢は開拓された地で、外から来る人が多い場所なので、ここに根付かないといけないという重責もあまり感じませんし、軽井沢まで行けば中山道が通っていて西と東の交流の道があったり、新潟の海に通じる道があったりするので、山の暮らしをしながら各地に取材に行くことができればと思っています。

  • 【*11】個展「The future is in nature」展示風景

*11

今後の社会状況にともなう作品制作・発表などの変化についてどのように考えていますか?また、その中でPARCに対して、どのような機能や役割があればよいと思いますか。

あまりコロナのことを意識しすぎない方がいいかなと今は思っています。感染対策をとりながらのインフラ運営とか、できるだけのことをやってきた社会は見ることができたし、むしろ今はコロナ以前からの潜在的な社会問題があらわになってきたショックの方がインパクトが大きいと思います。そういう問題のしわ寄せが表現の萎縮とか虚しさに繋がりかねないので、PARCさんには今まで通り実験的な表現の場や若手への眼差しを続けてもらいたいですし、そんな実験をさせてくれる大人がいるということが大切だと思います。

次にPARCが再起動するならどういう空間をイメージされますか?

大きく見せる個展の空間と、2・3人のアーティストで小さなグループ展ができる居心地のいい空間があるといいなと思います。月並みですが、オンラインストア&コンテンツという手段を開拓されたので、それらとリンクする展覧会ができると思いますし、オンラインストアの作品を閲覧できる場所があると、展覧会以外の窓口が増えるので嬉しいです。 

最後に、制作場所の様子を見せてください。

今、目の前の雑然としたデスクです…。【*12】〈ソマの舟〉に関するモチーフがちらほら写っています。今後、拠点を移すにあたって、整理をしていかないといけなくて、何から手をつけていこうか、今は色々と考えているところです。

  • 【*12】制作スタジオのデスク

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