トナカイ山のドゥオッジ
Duodji boazováris | Duodji from Mt. Reindeer
真冬の北極圏、ノルウェー、フィンマルク県マーツェ村へ。太陽の昇らない世界でトナカイ遊牧民サーミの人びとに出会った。オーロラをたくさん見、マイナス40度の世界を歩き、太陽は今どこを照らしているのだろう、などと想像したりして、村での日々を過ごした。
エレンさんがトナカイの毛皮でブーツを作ってくれた。これをもらった時、ドゥオッジ(手工芸) というサーミの言葉を覚えた。
初めてマーツェ村を訪れてから10年余りの間に、サーミのことを少しずつ知るようになった。マーツェ村から遠く離れても、そばに置いて愛でてきたトナカイのブーツから、ドゥオッジのことを忘れないよう言われ続けてきたように思う。初めは太陽のでない自然環境を見てみたくて訪ねたけれど、今では人がどうやって厳しい自然と付き合いながら暮らしているのかに興味が湧くようになった。
サーミはスカンジナビア半島北部に暮らす先住民族。古くからトナカイの遊牧を基盤に生活してきた。だから国境を持たなかったけれど、周囲の国に国境を引かれ、サーミの住む土地は4つの国に分けられた。スキーはサーミが発明したという説がある。
サーミ語はウラル語族に属している。かつての同化政策でサーミ語を話すことを禁じられたこともあり、今ではサーミであることを隠す人もいれば、主張する人もいる。マーツェは人口のおよそ100% がサーミの村。中でも私は、サーミであることを誇りに思っている人ばかりに出会ってきた。
トナカイの群れは、夏には北の海岸へ、冬になると南の内陸へと移動する。トナカイ飼いの人びとはその群れを追って遊牧する。トナカイ飼いは小屋を点々と所有していて、そこを拠点に山々を移動し、さらにツンドラの大地にテントを張って野営する。
北極圏の白夜の夏は短い。沈まない太陽が黄金色に輝き、蚊や魚や植物が一斉に繁殖期を迎える。夏になるとトナカイ飼いは、幼いトナカイの耳に切り込み印をいれ、所有者を識別できるようにする。円形のフェンスの中にトナカイの群れを追い込み、印のないトナカイを仕分けする。刻印作業はたいてい、黄金色の太陽が輝く真夜中に行われる。昼間の気温は高すぎて、トナカイが弱ってしまうらしい。トナカイ飼いは昼夜を問わずトナカイの動きと天候を読んで生活する。円形のフェンスの近くにテントを張り、親戚一同が集合してトナカイの仕分けを手伝う。大人も子供も並んで長い布を持ってトナカイの群れに近づき、フェンスの中へと追い込んでゆく。フェンスの中では、リーダーが子供に刻印を手ほどきする。サーミのすべてが次の世代へ受け渡されていく光景。追い込まれたトナカイの群れの熱気がむっと立ちこめ、切られた耳の欠片が地面に散らばっている。
言い伝えや民話を探して人びとから話を聞いているうちに、彼らの話す言葉そのものがとても面白く、サーミの生き方や自然の中での振る舞いをよく表しているように思えてきた。家にあるドゥオッジを見せてもらいながら話を聞いて回り、彼らの言葉を元に版画をつくることに決めた。
彼らの言葉から気づいたことは、彼らの誰もが自然に打ち勝とうなどとせず、自然の中に身を隠し、静かに身を守るような行動をとるということ。
トナカイの毛皮や骨、白樺を使ったドゥオッジは、素材の源となる自然とそれを使う人との間にある。道具であり、アイデンティティを表す芸術である。そして、厳しい自然環境から人の身を守る。武器ではない。「自然から受け取った素材の姿を借り、自然のあるべき形に還す」というドゥオッジのつくり方は、恐るべき自然の中に身を置き生きてきた、サーミの守りの哲学の表れなのだろう。
ふるさかはるか