2006年に京都嵯峨芸術大学芸術学部造形学科版画分野を卒業、2008年に愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻を修了した藤永覚耶(ふじなが・かくや/1983年・滋賀県生まれ)は、絵画・版画・写真・染色のテクニックや現象を横断的に用いながら、「認識の外の領域」への興味を始点とした作品制作に取り組んでいます。
藤永はこれまで、アルコール染料インクにより布にイメージを点描し、そこに溶剤を吹きかけることでインクを滲ませるテクニックをベースとした作品制作に取り組んでいます。
これらは「何らかの」写真を出発点に、その図像を目と手によって染料のドットに置き換えて描画し、溶剤によって滲みや動きを与えたもので、最初の写真が持っていた具体性や固有性は色の粒に置換され、さらに溶けて曖昧になりながらも「何かのイメージ」であることを放棄しない、いうなれば具象と抽象の狭間に独自のイメージを立ち上げます。また、そのイメージは鑑賞者の認識や記憶、作品との鑑賞距離や展示空間の環境などの影響を受けながらも、それぞれにとって「何かのイメージ」として受け取られるもので、それは主観と客観の狭間にあるイメージであるともいえます。
本展展示作品となる「Transit」シリーズは、近年の藤永の新たな取り組みによるものです。40mm程度の厚みを持った木の丸太の片面に版画技法によって刷られたイメージ(インク)が、浸透圧と毛細管現象により木の内部に沁み、反対側に像として現れる。このオリジナルテクニックにより藤永はこれまでの「認識のすぐ外の領域」への探求を深めようとしています。
藤永は本作においてその領域を「精神」と「世界」の二極に置いて見つめようとしています。「私」を中心とする視点は「私の内(精神)」を眼差します。それは思考や記憶、精神などの不可視な領域でありながら、私たちはそれらを「在る」ものとして取り扱いますが、そのさらに「向こう側」はいまだ未知であるといえます。また、「私」を中心とする視点は「私の外(世界)」を眼差します。その多くは知覚や認識しうる可視領域に「在る」といえますが、そのさらに「向こう側」はいまだ未知であるといえます。
この二つの「未知」は「私」の「内と外」に在ると言えますが、しかしその領域は密接に、あるいはひとつの繋がった領域であるとも言えます。知覚によって世界を捉え、その知識や経験をもって自身を捉え、またその思考や認識をもって世界を捉える。「私」はこの内と外への探求の反復が折り重なったものであり、「未知」への好奇心こそが知覚・想像・思考を拡げていると言えるでしょう。
木の内部という不可視領域を経て浮かび上がる像は、抽象と具象、意図と偶然の狭間にあると言えますが、その不可視のプロセスそのものが鑑賞者の知覚・思考・想像を惹きつけます。そして、それにより鑑賞者は、現れた像にそれぞれのリアリティを持ったイメージを見る(つくる)ことを促されます。
藤永の新たな取り組みを前に、未知への好奇心や想像が、自身と世界への探求と発見へと繋がれば幸いです。
本展で展示する《Transit》シリーズは、木の丸太の片面にまずイメージを刷る。その図像をつくるインクは毛細管現象により、木の内部を通過し、反対側に「像」を浮かび上がらせる。
自然現象を経て現れる「像」は、情報量としては最初の図像から間引かれたものだ。だがそれゆえに、私たちの意識・無意識と結びつき、内側に「それぞれのイメージ」が現れるのではないだろうか。
そして、私たちはこの作品の表面しか見ることができず、中で何が起こっているかは知ることができない。
藤永 覚耶