アルコール染料インクを用いた平面図像(絵画)を表現手段とし、作品と空間と見る者の関係を探っている。
自分の制作は、写真から得た図像を元に自分の手を通して綿布の上に色彩のインクの点を置いてゆく。最後に、時間をかけて溶かしインクを動かすことで、色彩の点は混ざり合い、移動の痕跡や滲みを綿布に残す。そのようにして、作品の図像を制作する。
アルコールの浸透圧に委ねられたイメージは、綿布の染みになると同時に、個人の主観を離れ、他者と共有しうるイメージへと昇華していくように感じる。
それらを壁面展示のオーソドックスな絵画形式のシリーズと、自然光を図像に反映させ空間と作品をダイレクトに結びつけたシリーズの2つの展示形式で作品展開している。
作品は、部分である色彩性と、それらの集合としてある全体像、この両者のゆらぎによって成立している。あるときは、作品に近付くことで色彩同士の緊張関係や美しさを見いだすかもしれない。また、あるときは、全体の像に自らの経験から何かのイメージを見出すかもしれない。それらはすべて、同一の単なる綿布の色彩の染みが引き起こすことだ。
何ものでもない色彩と何かであることとの緊張関係の中で、作品・空間・見る者、それぞれが相対的な関係となり相互作用するような絵画を目指している。藤永 覚耶「より(more)見る」のではなく、「一歩退いて(less)見る」こと。
動画/静止画を問わず、現代の諸々のイメージは「より見たい」という欲求のベクトルに従った暁の到達点として存在する。しかし、それとは逆方向のベクトルに従ってみたとき、予測不可能かつ純粋な光の形態が存在する。この一歩退いた領域において我々が見るのは、目前の世界の別のありようであり、「見る」ことを為す我々自身の後ろ姿でもある。前谷 康太郎周りとの距離をテーマに制作しています。
日常の風景や情景を観察すると、一歩引いて観てしまう事があります。それと同時に、自分の存在価値や自分が立っている位置を考えてしまいます。鑑賞者が作品を観て、以前どこかで感じた記憶とのリンク・共有、または私が想像もしない感覚を与えられたらと思っています。
また素材として蜜蝋を使用しています。アクリル絵具で描いた画面に蜜蝋を流し込み、その上に油彩で描画。蜜蝋によって下層と微妙な距離感が生まれます。そして通常の絵具とは違う何とも言えない独特な表情を見せてくれます。
自分がみた光景を絵のモチーフにしていますが、カメラを使うことで無意識にいい構図やアングルを切り取っているように思います。それは自分の意識だけでなく外部からの刺激によって成り立ちます。またその背景には、気づかないうちに現代社会の膨大な情報によって支配されていることがあると思います。
カメラのシャッターが下りる(幕が下りる)ことが、作品画面で言うと蜜蝋がフィルター代わりとなっていると同時に、蜜蝋特有の乳白層は、どこかで見た光景などと想像する、曖昧な記憶とも結びつきます。蜜蝋によって感じるのは記憶の曖昧だけでなく、その光景との微妙な距離感でもあるのではないでしょうか。宮崎 雄樹
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