楠本孝美(くすもと・たかみ/1985年生まれ・長野県)は、近年、転写や型取りなどによる「うつす」をプロセスに持った作品制作に取り組んでいます。しかし、その「うつす」行為は完璧なコピーを目指されたものではなく、むしろ楠本自身によって「うつせない」が生じるように仕向けられているともいえます。
たとえば楠本はガラスの上にインクでイメージを描き、そこにシリコンを流し込み、固めることでイメージを転写します。しかし、インクの濃淡や偶然によりインクは完全に転写されず、シリコン上にはうつし取られたインクと共に、うつし取れなかったインクの厚み(凸)に相対した凹みが生じます。ここではシリコンにインクという「物質」が移動する「うつす」と、インクという物質の「存在」を「うつす」ことが同時に起きているといえ、楠本が描いた(選択した)イメージは、意図と偶然、インクとシリコンの凹みなど、意味や在り方においてズレやブレといった「うつしまちがい(エラー)」を含んだ「何か」として転写されています。
楠本はこうした作品制作にあたって『未知を取りこぼさないために』という言葉を使います。
私たちは常に「未知」と出会っているといえます。しかし、その「未知」は過去の経験や知識、形式や文法といった類型などから想像することで、瞬く間に「概知」として認識し、それに準じた最適な見方を当て嵌めます。また、この「未知から既知」へのタイムラグがあまりに瞬間的であるため、私たちは目の前の「未知」を自覚することは少なく、また、その認識や見方は一度獲得すると、およそ不可逆的に固定化されてしまいます。いわばこれは、記憶や経験のなかにある実体のともなわない認識の雛形を「オリジナル」として、そこに目の前の未知を当て嵌める、つまり未知をオリジナルのコピーにしてしまうことであり、ここで私たちは雛形に沿わない「未知」を取りこぼしてしまっているといえるのではないでしょうか。
楠本は作品によって『私たちの「見る」が、それがそれであると認識する前の状態に戻れること、あるいは少しでも未知に接する状態を留めること』を目指しているといえます。そして、そのことで私たちの「未知から既知」への認識が、何によって・どのように「つくられていくのか」を観察しようとしているといえます。これは、いわば「伝言ゲームの伝えまちがい」の経緯を観察することに似て、オリジナルが様々な人(媒体)を経て伝達(コピー)される過程で、それぞれの思い込みなどによる些細なエラーがどのように混入し、どのように帰結するのかを見ることで、私たちの認識がどのような因子や流れを持っているのかを知る手立てであるといえます。
本展において、こうした作品の発展として、シリコンではなくコンクリートを用いた作品およそ10点を発表する楠本は、ここに「イメージと物質を同時に眺めることができる状態」をつくりだすことで、より多様なエラーが起こる状態を作品の鑑賞につくりだそうと試みます。