2006年に京都精華大学芸術学部造形学科洋画専攻卒業、2008年に京都精華大学大学院芸術研究科博士前期過程洋画専攻修了した田中真吾(たなか・しんご/1983年・大阪生まれ)は、在学中から現在に至るまで、おもに火を用いた作品を制作・発表しています。
「焼失(破壊)」という不可逆的な事象から、『消失』の側面で捉えられることの多い「火」について、田中はその本質をひとつとするのではなく、むしろ火の本質を曖昧で多様なものとして捉え、様々な観点から作品に取り込んでいます。
漆喰パネルの上で画用紙を燃やし、煤や焦げといった火の痕跡によって描画を重ねた最初期の平面作品をはじめ、積層した紙の塊を燃やし、花弁のように開いた灰を見せる立体作品《 trans 》。1枚の紙片が燃え尽きる経過を長時間露光により撮影した《 trace 》などの写真作品。無数のビニルやフィルムなどを画面上で融解させ、それらをまるで絵具のように扱いながらひとつのオブジェクトへと変貌させる近年の《 meltrans 》などからは、田中が火を『消失』のみならず『変化』や『融合』による『生成』の現象として捉える視点を見ることができます。
本展において田中は、矩形の角材にベニア板を張り重ねて燃やし、また張り重ねるを繰り返すことで、生成された作品を発表します。本作品は、現象(消失)の結果(カタチ)と、現象(生成)の結果(焦げた縁の線)を手がかりに、さらに行為(構成・配置)を繰り返したもので、田中と火による「行為と現象」の曖昧なやりとりの痕跡であるといえます。
本作品において田中は、「火とはなにか?」という問いの答えを提示するものではなく、火を「必然・偶然」の曖昧な狭間に置き続けることで、意味や観念、物語や比喩、文学や科学に結びつけることなく、「火とはなにか?」という曖昧で根源的な「問い」を物質化しようとしていると言えます。
必然と偶然、意味と無意味の狭間に揺らめく炎を、私たちがいつまでも眺めていられるように、田中の作品の鑑賞が、鑑賞者の中に「火とはなにか?」という曖昧で終わりのない問いを巡らせる時間を体験いただければ幸いです。
協力:eN arts
Phantom Edge
やっていることはシンプルだと思う。
矩形の中でベニアと角材を張り重ねていき、ある程度のボリュームを持ってきたら燃やす。そこで生まれる黒のバランスを見ながら新しい木材を重ね、更に燃やす。その行為をただただ繰り返す。当然だが、燃えきった木材は脆くなり、焼け落ちる。その瞬間に黒は空白へと転じ、面は縁(edge)へと変化する。
制作を続けるうち、ふと、いま自分が何をしているのか分からなくなる。
この作業は「壊している」のか「作っている」のか、それとも「描いている」のか「削っている」のか、分からなくなる。
何かしら形として積み上がっていく以上、大局的に見れば「作っている」という言葉に集約されていくとしても、そこに至るまでの一手一手は、常に二極を等値として含み続けている。「壊す」だけでもなく「作る」だけでもない、「描いてから削る」でもなく「削ってから描く」でもない。その同時発生性。
それは、「壊しながら作る」であり、「作りながら壊す」でもあるという矛盾を抱えながら、自らの選択をどこで行うのかと問い続けることである。
何も明確ではない。何か一つでは言い切れない。その曖昧さを肯定すること。
行為が積み上がった果てに立ち現れてくるものが何なのか、いまだ私は適切な言葉を持たないが、そのような結果にも人の想像力は働きかけ、視覚は何かを見つけ出そうとする。穿たれた空白に失われた面の広がりを想像し、露になった重なりに新しい奥行きを感じ取る。そうした作品とのやり取りの中から、表現と言葉の可能性を探していきたいと思う。
田中 真吾