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Artists Interview
田中奈津子Artist InfoONLINE STORE

 キャンバスの上からではなく、自身が受けた時間や空間、歴史や暮らしなどの様々な制約・影響に意識を向け、「描くこと」から絵画を立ち上げてきた田中奈津子さん。2020年4月よりインドネシア・ジャカルタでの生活をスタートさせました。その半年後には[m@p]meet @ postプロジェクトに参加し、現地で手に入れたもの、目にしたものや体験をもとにしたZINE やドローイングをお送りいただきました。

 また、新型コロナウィルス感染拡大に伴い、インドネシアと日本を行き来する度に外出制限を余儀なくされる生活のなか、隔離施設や自宅で絵を描き、展示し、それらを映像で発信するなど、精力的に活動されています。2021年9月、一時帰国された際にお話を伺いました。(取材日:2021年9月末・追記: 2022年2月)

「隔離された絵画展 in 門司」展示風景(2021)©︎ Hidenobu Mori
これまでの活動とその後

PARCでは2017年2月に個展「きょうの壺 プレミアム」を2020年1月「ANDROGYNOS」を開催いただいていますが、それぞれの展覧会はどのようなものでしたか?

そうですね、私は割と京都の色んなところで作品を発表していたのですが、それらの総まとめ的な、どちらもシリーズの区切りみたいなものをパルクに持ってきて展覧会をさせてもらった気がします。 【*1, 2】

前回の個展以降、作品や活動の内容に変化はありましたか?特に2020年(1月)の個展の際にはすでにインドネシア(ジャカルタ)に行くことが決まっていましたよね?

行くのは決まってました。インドネシア行きは家族の都合で、PARCでの個展とVOCA展を終えてすぐの2020年の4月に飛びました。ちょうどその頃には日本でもインドネシアでもコロナ感染拡大が始まった頃でした。当時はコロナ禍でほとんど外出もできず、そこら中に立ち入り禁止の張り紙が露骨にしてあるような中で、一番初めはすごく厳しくて、スーパー以外は全部閉まってたんですよね。ショッピングモールは真っ暗で、地下のスーパーだけは薄暗く空いてるという異様な光景でした。ジャカルタの一番中心にある、ブンダランハイのロータリーの周りを、高級ホテルとか、モールが囲んでいるのがジャカルタの象徴で、そこが普段ならすごく渋滞するんですけど、ガラガラでした。コロナ前に見た風景と、行ってからコロナ禍に見た風景のギャップが大きかったです。行ってからはほとんど家の中で、外出するのは散歩くらいでした。【*3】

  • 【*1】2017年「きょうの壺 プレミアム」展示風景 >Exhibition Info
  • 【*2】2020年「ANDROGYNOS」展示風景>Exhibition Info
  • 【*3】ジャカルタ中心街

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インドネシアでの生活 / [m@p]meet @ postについて

制作はどうされていましたか?田中さんには[m@p]プロジェクトにも参加いただいていて、それが開始したのは2020年の秋でしたね。

まず、画材屋さんが開いてないんで、画材が入手できなくて、通販で買おうにもインドネシア語が読めない。それで少しづつインドネシア語を覚えたりとか、銀行口座と支払いをリンクさせたりしてようやくインターネットで画材を買えるようになるところから始まりました。[m@p]での作品制作をスタートしたのもその最中で、例えばコピーをするにも、言葉が全然通じなくて、「ん??」て聞き返されるんだけど、その度に自動翻訳のサイトで調べて言うんだけど通じなくて、身振り手振りでなんとか意思疎通して。。。いろいろ工夫する中で段々とコピーも濃くしたり薄くしたりといったことを言えるようになって。【*4】4回目はインドネシア人にインタビューしたものも入れられたので、随分進化しました。【*5, 6】インタビューして翻訳して、映像を編集して、今かなり濃いものが溜まっています。

 

*[m@p]meet @ postプロジェクト>more

 

*2020年にリリースされた田中奈津子[m@p]の受付は終了しましたが、初回お届け作品については、1点ずつお買い求めいただけます。【*7】>ONLINE STORE

映像をつくりだしたのは、[m@p]がきっかけだったのでしょうか?

プロセスを記録するのが面白いだろうなと思って、日本にいるみんなにインドネシアの様子を伝えたいのもあったし始めてみました。多分、モノだけ送っても、例えばコピーが簡単にできてるわけじゃないことは伝わらないだろうなと思って。そもそも私はプロセスまで含めて絵画を考えていて、プロセスの部分を今までは言葉で説明してたんですが、映像にするとストレートに伝えやすいなと今回の制作で気づきました。今やってる《隔離された絵画》も、入国後の隔離部屋の映像を撮って、どのように発表するのがよいのか考えています。自分の制作の発表の仕方にフィットしていたので、[m@p]でどっちも作れて良かったです。

 

  • 【*4】[m@p]2回目お届け作品:ZINE 2020 / 紙に絵具、CD-ROM
  • 【*5】[m@p]4回目お届け作品:ZINE “Alif Priyono へのインタビュー” 2021 ミクストメディア
  • 【*6】[m@p]と並行して製作された映像 >Link
  • 【*7】ZINE《 Halo! Indonesia 》 2020 / フォリオ判
       *ZINE の内容については[m@p]インタビューをご覧ください。 >[m@p]interview

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インドネシアと日本の往来で

古い家を改装して展覧会をするといった映像もつくられていますよね?

あれは、2020年の冬に福岡(門司)に帰国した際で、その頃は私自身が展覧会なども自由にできない環境だったのですが、たまたま学芸員の方が遊びに来てくださるとのことだったので、それならその人のための展覧会をしようと「A quiet exhibition under pandemic」を企画しました。実家の裏の古い家に自作と京都でコレクションした友人等の作品を展示して、鑑賞する様子を記録したものです。コロナ禍で不特定多数に開くのではなくて、ひそやかな展覧会もありじゃないかというのを提示したくておこなったものです。学芸員の方がインドネシア美術を研究されていたので、かなり内容が重層的になりましたがそれを含めてありのままの展覧会体験を記録した映像です。編集はPARCにお願いしました。【*8】

その後その家を改装して、2021年4月にインドネシアから帰国した際の自主隔離の2週間で制作し、実家の庭とともに展覧会場として使用しました。隔離期間が終わった後に日本語とインドネシア語でのトークイベントを現場で行いインスタライブで発信したんですよね。【*9, 10】

  • 【*8】2020年 展覧会「A quiet exhibition under pandemic」映像>Link
  • 【*9】2021年「隔離された絵画展 in 門司」展示風景 ©︎ Hidenobu Mori
  • 【*10】「隔離された絵画展 in 門司」アーカイヴ映像>Link

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これらも含めていま取り組まれている《隔離された絵画》につながっているのですか?

そうですね。2021年の春の帰国は自主隔離だったんですけど、今回(2021年9月)はインドネシアではデルタ株が広がって、ジャカルタで一番ひどい時は約15000人が感染して、インドネシアで2000人くらい亡くなったりする時期があって、その時も飲食店は全部閉まって、ロックダウンして、さらに日本も結構コロナの波が押し寄せていたという状況だったので、帰国時に成田で10日間の強制隔離がありました。でもその隔離期間中に何かできないだろうかと考えて、そこでまた展覧会をしようと。【*11】隔離施設で過ごした10日間で絵を描いて、記録をスマホで撮って、その部屋に作品を展示して、インスタライブもしました。そのあと、ネットにアップして、色んな人に見てもらえるようにしています。その時の画材はインドネシアから持ってきました。あと、ネットで注文できたんですよ。隔離施設から。自分から物を出すのは絶対にダメなんですけど、受け取るのはよくて、ただ1階で検疫が必要なので中身は開けて確認されます。お酒と生物は没収されるんです。

どのような作品なのですか?

インドネシアで散歩するとき南洋植物を見かけるんですけど、その造形を思い出しながら描きました。隔離空間にいると外部のものと接触しないから、絵を描く時の題材が記憶とかになりますよね。描いた絵は窓に貼ったんですけど、【*12】トレーシングペーパーなんで少し透けてきれいかと思ったら、その後ろに成田空港の景色が見えて、面白かったです。1日1枚とかそんな堅苦しく決めてなくて、時間がある限りゆっくり描いてました。時間は本当にたっぷりあったので。

これをやっている時に思ったんですけど、絵画って「ウィンドウ」っていうじゃないですか。それと重なるなと。この植物を思い出して描くというのは元々ジャカルタでもやってたんです。あまり外に出れなかったので、描く対象が記憶しかなくて。インドネシアの記憶で一番印象的なのは植物の造形が面白いということです。そして、色彩は基本緑なんだけど、他の色をいれるときに、ただ感覚的にイメージでいれちゃうと、本当にイメージの絵になっちゃうんですよ。虚構というか。綺麗な植物を描いちゃうんですけど、できれば、記憶とか五感に基づいたものが描きたいので、緑以外の色を入れる時に、ちょっと暑かったから、赤を入れるとか、そういった感覚や感触の記憶から色を入れるようにしました。色による感触って人によってその定義が違うと思うんですけど。自分の中で、暑いとか光ってたとか、寒かったとか、暗かったとか経験と紐付けて色を入れるようにしてて。蛍光色も昔は使わなかったんですが、インドネシアでたくさん見たのでだんだん慣れてきました。

《隔離された絵画》の今後の展開は?

2021年9月末にインドネシアに戻る際にまたホテルでの強制隔離があるので「隔離された絵画 in Jakarta」を行う予定です。【*13, 14】

 

そして福岡にある真武真喜子さんのOperation Tableで2022年春頃に、その後galerie16(京都)で発表する予定です。


この作品を見てもらうのは実は初めてなんですよ。なので不安もあります。やっぱり人に見てもらって、展覧会をして、やっと作品を客観的に見ることができるじゃないですか。それがまるでない状態でやってたので。でもオンライン上で発表していたのが繋がって現実の展覧会になったことを嬉しく思います。直接体験しないと分からないところって絵画の大前提にあるんですが、隔離部屋の中で描いてても、こういう風に発信すれば現実世界で繋がっていくんだなぁというのが面白かったです。

 

*オンラインストア[parcstore]にて絵画作品《記憶の森》を取り扱っております。【*15】

ONLINE STORE

  • 【*11】成田の隔離施設での展示風景
  • 【*12】窓に貼った作品
  • 【*13】「隔離された絵画 in Jakarta」展示風景(インタビュー後の2021年10月に実施。)
  • 【*14】「隔離された絵画 in Jakarta」インスタライブアーカイブ映像 >Link
  • 【*15】《 記憶の森 #10 》2021 / 紙,アクリル絵の具 / h.36 × w.26 cm  

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インドネシアでの交流

映像(SNSを通した発信)はインドネシアでも見てくださっている方はいるのでしょうか?

 そうですね。一番初めはリアルタイムではインドネシア人はそんなにたくさん見てはなかったんですけど、後になって見て、連絡くれた人が[m@p]4回目でインタビューしたパレンバンの画家アリフ・プリヨノになるんです。SNS(インスタ)で繋がって現在に至るまでずっと絵画の話をしています。インドネシアの人たちはチャットやSNSがすごく好きで、インスタに何か投稿したりするとすぐに食いついてくる。
  それとWhatsAppというLINEみたいなアプリもよく使われます。何もなくても「今何してる?」とチャットが始まる。人と人との距離がすごく近いのはインターネットを通しても感じます。そしてSNS等で知り合った遠方の作家や言語交換をしている友だち達とも、規制が緩んだあと、結局全員と直接会いました。やはり最終的にはそうなっていくのかなぁというところも興味深いです。

 そしてインドネシアって各地域全然文化が違うので、言葉も違うし、生活習慣から何から何まで違うので、違う地域の人だと喋れなかったりするんですよ。だから違う国がいっぱい集まっているって感じですごく面白いです。小学校でインドネシア語を習い始めるまでは、違う地域の人とは喋れないらしいです。各地方に根付いた活動をする色々なコレクティブがありますが、インドネシア語で話し合って、違う島同士でともにプロジェクトを行なったりしています。そういう動き方が面白いですよね。
 やはりインドネシアって、地域共同体がすごく大事で、相互扶助でお互い助け合って、色んなことを解決していくというそもそもの習慣があって、一方で、全然違う考え方の人とか、違う言語の人に対しても寛容なんです。元々色んな人がいるという前提で育っているので、その2つが矛盾せずに存在しているのでしょう。そういう2つのことが重なってコレクティブの活動、例えば映像と農家とか全然違う領域の人が協働で「こういうことをやってみよう」と、ノンクロン(「ダベる」という意味)の中でアイデアが生まれて、プロジェクトが立ち上がっていったりして面白いなぁと思います。

インドネシアはコレクティブが多くあるそうですね?

 有名なのは今度ドクメンタを担当するジャカルタの「ruangrupa」ですね。ジョグジャにもたくさんのコレクティブがあるし、各地域に根ざした活動をするコレクティブもインドネシア中にたくさんあるようです。「アート」だけに限定する感じはなく、本当にいろんな人がいます。なんとなく興味があるだけの普通の人とかもワークショップに参加したり、今日は公園でみんなで読書しようとか、そしてその後議論したりとか、アーティストだけというのはむしろ聞かないです。領域を超えてどんな人でも楽しめる。
  これが、どこかの土地を活用しようという目的のある集まりだったら、誰かに利益がいくという問題にもなっちゃうけど、アート活動だと実利的なことから離れてみんなが楽しめる。根源は社会扶助みたいなところでやってるなというのは、日本人の私が見て感じるところです。アートが目的で集まってるというよりも、みんなで何か社会を良くしたい。その中でアート活動がすごく親和性が高いみたいな感じです。

  また、日本のように行政による市民活動講座であるとか、市民活動センターのような公共施設であるとか、インドネシアではあまり見かけません。政府がやってくれないなら自分たちでやる。「みんなで資金を出し合ってこの家を借りて、場をつくろう」とか、「こういうワークショップがあったらいいな」と思ったら、「得意な人にファシリテーターをやってもらって、みんなで参加してアーカイブしよう」とか、自分たちで協力してやってる。コレクティブだけじゃなくて色々な社会活動グループやコミュニティがあるんですよ。コロナ禍で慈善事業をするコミュニティがあったり、古代文字に興味がある人が集まって研究してるとか、そこには興味がある人が集まって、年齢関係なく参加しています。 【*16】

費用も持ち寄って?

寄付を募ったりとか、そのあたりも面白いです。ドネーションするという慣習が一般化しています。豊かな人は貧しい人に恵むというのが当たり前なんですね。色んなファウンデーションや企業、個人に持ちかけて、お金を集めて各自の活動をしています。コレクティブの中にはお金を集めてくる役割の人がいたり、利益を生む活動をする部門があったりする。でもそこが特別扱いされるわけではなくて、違う活動している人たち、お金にならないような活動をしている人たちも同等に話し合って、お互いに役割分担したり意見交換しながら全体的に活動しているようです。それはすごくいいなと思いました。

  • 【*16】コレクティブのパフォーマンス鑑賞の様子 ©︎ gubuakkopi

【*16】

これから取り組みたいと考えていること、今後について

最近は「Grafis Huru Hara」というジャカルタの版画のコレクティブと共同制作に取り掛かっています。【*17】 [m@p]でインタビューをしたインドネシア人の画家アリフと建築と美術の領域を越えた展覧会を予定して資金を探しています。またインドネシア人の目に自分の作品がどのように映るのか非常に気になるので、早くインドネシアでも個展がしたいです。2020年、2021年前半はコロナで動けなかったので今は少しずつ活動の根を張っているところでしょうか。言葉の問題は未だ大きいですが少しずつこちらのアーティストとも関わるようになってきました。

インドネシア人はやっぱり動きが早くて、やろうと思ったらすぐに進めていく。資源が無いところからでもすぐにやりますね。ジムの機械を買うお金がなかったら、木に杭を打って紐をぶら下げてやったりとか。スマホホルダーがなかったら、輪ゴムでくくりつけるとか。自分も近しいところがあるけど、向こうは全然上手です。バイクのミラーを倒すとコーヒーホルダーになるとか、発想力がすごいです。

私も今回のコロナで色々工夫してやってるんですけど、例えば、作品を輸送で集めて、(近くの壁を指して)ここに飾れば実は展覧会って成立することなんだなって、インドネシア人にも教えてもらったし、コロナの環境の中でも勉強させられた気がします。「計画してても緊急事態宣言」みたいなこともあるじゃないですか。なので、柔軟にやっていくのが今の状況の中では一つの解じゃないかなと。もう一方でアーカイブとか、形に残すという重要性もありますよね。オンラインの活動は消えて流れちゃうから。モノとして冊子なり、展覧会できちんと結ぶことの重要さを痛切に感じました。インドネシア人もアーカイブ作業はきちんとやりますね。展覧会に関してはそうですが、一方でモノとして残る「絵画」の強さはやはり信頼の置けるものです。

m@pセカンドシーズンについては、インドネシア人と共同作業含めたものにしたいなとぼんやりと思ってます。

  • 【*17】版画のコレクティブ「Grafis Huru Hara」にて制作風景

【*17】