平田剛志 (京都国立近代美術館研究補佐員)
本年の審査は、審査員個別に提出されたファイル・資料審査を行ない、その後にギャラリーと審査員2名による討議によって入選プランを決定しました。
今回もファイルを通じて、さまざまな発見や魅力的な作品・言葉との出会いがありました。応募して頂いた方々には心よりお礼申し上げます。
未来の展示プランを選出するにあたっては、プラン内容はもちろんのこと、過去作の理解・討議に多くの時間を割きました。なぜなら、未来の判断材料は過去にしかないからです。しかし、展示プランとしては実現可能性の懸念や作品とプランのあいだに矛盾・乖離も見られました。前回も感じたことですが、人生において新しいことに挑戦するのはすばらしいことですが、プランには本当に必要でしょうか。もし、何かを変えるのであれば、それは作品ではなく、作者の方なのかもしれません。
家族が親と子では考え方や行動が異なるように、作者と作品は「他者」であり、制作と展示は異なります。まずは、展覧会の展示や鑑賞と同じく、作品を「見る」こと、鑑賞・観察することが必要ではないでしょうか。また、お会いできることを楽しみにしています。
〈明楽和記プラン〉
ギャラリーをホワイトキューブ化するプランは今回の応募中、最も奇抜なプランでした。しかし、作家において色彩は一貫したテーマであり、今回は色彩のなかの「ホワイト(白)」が主題なのでした。ホワイトキューブを与えられたものとするのではなく、「ホワイトキューブを選ぶこと。ホワイトキューブではないギャラリーだからこそ実施できる絵画論であり展示論として興味深いものでした。
〈田中秀介プラン〉
これまで現実と非現実が混じり合ったシュルレアリスム風な世界観が展開する絵画を描いてきた田中秀介ですが、今回のプランでは作者の起床から就寝までの一日の出来事を時間軸に沿って展示するというものでした。映画では『5時から7時までのクレオ』(1962)や『きょうのできごと』(2003)など、1日の出来事を主題としたものが多々ありますが、絵画ではあまり前例がありません。時間超越的な田中の絵画を現実の時間軸に当てはめたとき、どんな絵画の一日が現れるのでしょうか。そして、生活と労働を描くという点で、これは21世紀のプロレタリア美術なのかもしれません。
〈中尾美園プラン〉
木の葉や落ち葉を膨大に描いた植物図鑑を思わせる絵巻やタペストリー風の絵画は、過ぎた時間や土地の記憶・記録をいまに伝え残す絵画の特性が表れていました。それは、保存修復コースで学んだ丁寧で確かな技術、模写や写生で培った観察力に支えられた作品といえます。しかし、精緻な絵画の発表プランとして、インスタレーションが相応しいのか、「現代美術」の流行や形式ありきではなく、作品の本質に即して再考する余地はありそうです。京都、福島、奈良とさまざまな土地を経てきた作家にとって、今展をこれまでの集大成とさらなる飛躍の機会とされることを願います。
山本麻友美(京都芸術センタープログラムディレクター)
作家にとって切実な問題であっても、鑑賞をする側にとってはそうでもないという状況は案外よくあることだ。
表現しようとする人は、意図していようともしていなくても、自分の何かを他人に晒してしまうことになるし、それをコワイと思うのは至極まっとうな感覚であると思う。
発表の機会や、発表の仕方が、自由で多様になったからこそ、何をどう選ぶのかは、作家にとっては創作以上に悩ましいことなのかもしれない。
今回の応募プランの中には、作品が魅力的であるのに、創作の動機が希薄、あるいは、作家自身がそれらを掴みかねているというジレンマを感じるものが多かった。それはステートメントの曖昧さや矛盾に如実に表れる。
作ることと考えること。どちらも諦めずに続けてほしい。