写生やデッサンをする過程で見ることに関心を持ち、人の視点や認識、意味付けについて考察し、主に絵画を描いてきました。
写生というあるがままに生を写し取る行為は、私による視点の固定が必要であると同時に多角的な視点も要求され、また我を捨て素直に受け取る器量も必要です。相反するものも含めた、多数の視点が同時に存在することで成り立つものと言えます。これは私にとって、混沌と美しい世界のありのままを理解し、享受するような行為でもあります。
近年モチーフとして扱っている水晶は六角柱状の結晶で複屈折を生じます。異なるベクトルに放たれた光は美しい反面、その実体を掴みにくくします。岩絵具は光に乱反射し、形態把握を難しくします。また、モチーフの描写で色の明彩度などのバランスが崩れると、それと認識しづらくなります。これらは人の感覚を揺さぶると同時に、新たな発見を誘発します。その認識(実体)と認識の揺らぎを、画面に混在させたいと考えています。
そのために、水晶の写生画をもとにエンボス加工と日本画技法を用い、幾つもの工程を経ながら制作しています。工程ごとに分解と構築を繰り返すことで、私自身の「見出す力」を探求し、新しい視点や新鮮な出会いを獲得しようとする試みです。
物事を分節し、意味を見出し構築・享受する。それをまた分節して構築・享受する。止まることのない個人のその行為にこそ、先入観や既成概念に捉われずに新しいステージへ進んでいく力が潜んでいるのかもしれません。作品はそのひとつの結晶であり、より良い世界への私の希望が込められたものでもあるのです。
展覧会について
本展覧会は紫水晶をモチーフに、言葉にならないその声や対話をビジュアルで翻訳する試みです。紫水晶とは水晶の一種で、異方向に光を放つ六角柱状の美しい結晶です。また2月生まれ、私の誕生石でもあります。
私は日常のなかで見つけた美しいものを写生してきました。モチーフを見つめ、向き合う時、彼らは言葉にはならない多くのことを語りかけてくれます。その声を可視化するかのように絵を描いてきました。写生画は、私とモチーフとの貴重な対話の結果です。しかしそれは、あくまでひとつの視点によるひとつの結果に過ぎません。では、私は何を見ていたのでしょうか。また私の視点からこぼれ落ちたものは何だったのでしょうか。そこに端を発し、見ることを考え、近年は自身の「見出す力」を探求するため、写生画をもとに視点の分解と構築を繰り返す絵画、crystalシリーズを制作しています。
今回の展覧会では、そのような絵画展示を中心に構成し、歴史・神話・化学・精神世界など異なる分野からの紫水晶にまつわる視点も取り入れ、資料なども提示します。
様々なパースペクティブから捉えられた紫水晶が同時にそこに存在する。一つの物を見つめることで立ち現れる世界の広がりを見られる機会になればと考えています。
紫水晶の言葉にならない声は、あなたに届くでしょうか。
寺脇 扶美