Gallery PARCでは、6月16日(木)から7月3日(日)まで、門田訓和による個展「physical time」を開催いたします。
門田訓和(かどた・くにかず/1985年・岐阜県生まれ)はこれまで、「表象としての彫刻」を探求してきました。たとえば2011年から今日まで断続的に手がけられてきたカラーペーパーを用いたシリーズは、台のうえに複数枚のカラーペーパーを準備し、重ね方や配置を変え、その様子を多重露光によって撮影することで作られるものです。色彩の重なりが美しいそのシリーズは、耽美的な写真作品として鑑賞できるほどの美的感覚を備えています。しかし門田の関心は、結果として生じる美しさにあるのではなく、その美しさを作り出している原理へと向いています。二次元のカラーペーパーによって、淡い立体感や奥行きの感覚を作る。あるいは折ったり皺を付けたりすることでカラーペーパーの物質感を強調しつつ、同時に、それらを多重露光で撮影することで実体性を欠いた半透明のイメージへと変える。ここで門田はカラーペーパーを、二次元と三次元とを、あるいは物とイメージとを往還するものへと転換し提示しているのです。
彫刻という行為が、作家が物に介在することで形態の変容を及ぼし、物に新たな立体感や空間との関係性を与えるものとするのなら、門田のこのシリーズは、彫刻が立ち上がる瞬間を記録するものだと言えるでしょう。物質感や立体感をあらかじめそなえた粘土や石膏といった彫刻におなじみの素材ではなく、物質感が乏しく平面的なカラーペーパーを用い、また、どのようなものであっても物体として認識される現実空間ではなく、写真という表象空間の中で作品を作り上げておきながら、それでもなお、そこに立ち現れる立体感や空間性。先に「表象としての彫刻」という言葉を用いたのは、門田の作品がこうした感覚を与えるからに他なりません。
さて、本展において門田は、これまでの制作上の関心を引き継ぎつつ、新たな展開を見せます。出品作品はこれまでと同じく写真を用いて作られているものの、従来の作品を特徴付けていた色彩の美しさは後景へと退き、門田の行為の痕跡がより明示的に残されることとなります。また、従来の作品が写真作品として壁面に掛けられていたのに対し、本展の出品作品は、オーソドックスな彫刻作品と同じように床に置かれるものも含みます。
行為の痕跡と物体感。我々が彫刻と呼ぶ作品から看取してきたこれらの感覚を、一般的な彫刻の形式からかけ離れた彫刻ならざるものをとおして、鑑賞者へと差し向ける。そのような門田の出品作品は、「彫刻とは何か」・「彫刻を見る経験とはどのような経験か」という問いを照射することになるでしょう。
会場撮影:門田訓和
私の制作は、折り紙やロール紙を用いて行っています。それらは可塑的な素材であり、ある形や状態を保つのに一時的な存在で、一度そのバランスを崩すともとの形には戻りません。そこで私は、その一つ一つの瞬間の形や状態を写真によって記録します。そこには、紙という素材を用いることで生じる形とその中にある一連の行為が現れています。
うつし出され色や形の重なりは、単にそこにある色や形をくもらせるのではなく、むしろ様々な色幅や形態が、時間やプロセスを一つの結果として現します。このような制作行為が、一瞬の形や状態をかためる方法の一つだと考えています。
作品制作における手法と技術に焦点を当てることで、プロセスの回復と、それによって生じる、ものを見るという眼差しの不確かさを導き出すこと。そして、写真によって固められ、分節化された時間は、例えば、彫刻を輪切りにした時の感覚と似ているかもしれません。門田 訓和/Kadota Kunikazu