Top

Previous page

Artists Interview
ベリーマキコArtist InfoOnline Store

生まれ育った京都・亀岡を拠点に山や川に近い環境で、日本画をベースに版画や彫刻やオブジェなども手がけながら制作を続けるベリーマキコさん。
その作品はいずれも自然に目と手で触れ、自然と遊ぶ中で生み出された柔らかさと可笑しみに満ちています。

 

身近な素材で遊ぶような制作から絵画の大作まで、制作を続けるベリーさん。
2019年にギャラリーパルクで開催した個展「日常という旅路 / Daily Life Journey」をきっかけに出展が決まった瀬戸内・大三島美術館での展覧会を前に、亀岡で制作していたベリーさんにお話を伺いました。(取材日 :2021年8月)

ベリーマキコ 制作風景(亀岡市文化資料館)
2019年の個展とその後

PARCでは2019年3月に個展「日常という旅路 / Daily Life Journey」を開催いただいていますが、この展覧会はどのようなものでしたか?

大型の絵を一堂に展示できたことが、私にとってすごく良かったと思っています。 大学での研究生終了後の1999年から2008年までアメリカにいて、日本に帰国してから大きな絵を描き始めたのですが、帰国後ちょうど10年ほどの作家活動の中で描いた絵をいざ並べてみると「こんなにたくさん描いていたんだな」と改めて驚きました。
展覧会をして他の人に見てもらうことも、とても大きなことですが、自分自身で作品を一覧できたことで「次にいこう」と明確に思うことができました。贅沢な時間だったと思います。 【*1】

大きな絵は中心部に円が見えますが、ベリーさんはパネルを回しながら描かれるのですよね。【*2】

そうです。長い棒の先に筆をくっつけて絵を描きます。時々まわすと、私にとっての面白いかたちがあったりするんです。こうして言葉にすると、変わったことを言っているように聞こえるかもしれませんが、自分の目標に近づけるように描いていくよりは、絵から何かを受け取りたいと思いながら描いています。


私は亀岡の出身で、今も亀岡に住んでいるのですが、幼い頃は田んぼや畑で、何も目的やおもちゃがない中で、日々いかに違う遊びをするかということを考えていました。それと同じことが絵を描く時にもあるように思います。
例えば雲を描くのが楽しいと思って描き始めても飽きる時もあるんですが、それで飽きたら消したりすることもあります。そういった層になっていくことは面白いですし、途中の工程を記録することも自分だけの楽しみとしてやっています。
「絵の天地はどうやって決めているのか」と聞かれることもあるのですが、なかなか決まらない時もあります。できるだけ落ち着かない方を選びます。普段描けないようなかたちになっている方、自分の能力ではできない方、不安定な方を選びがちですね。

  • 【*1】2019年「日常という旅路 / Daily Life Journey」展示風景 >Exhibition Info
  • 【*2】参考作品《希望》

*1

*2

大三島美術館での展覧会について

2019年の個展以降、作品や活動に変化はありましたか?

実はあの個展の際に、愛媛県の大三島美術館の学芸員の方にお手紙を書いたら見にきてくださったんです。それがきっかけで今年(2021年)に展覧会を開催することができました。新作を含む15点を出展しています。【*3】

この展覧会のために幅5mを超える大きな絵を描いたのですが、この作品は、私のアトリエ兼教室では到底描ける大きさではありませんでした。京都芸術センターの制作室で描き、緊急事態宣言でセンターが閉館して使用できなくなったので、亀岡市文化資料館の鵜飼館長にご相談させていただいて、制作の場所の提供を資料館内で受けました。この絵は6枚のパネルを合わせた作品です。それぞれのパネルはいつも通りぐんぐんまわして描いていましたが、図録のための作品撮影の一週間前に正木さんとお話したときに、自分自身がこの絵に対して納得していない(ストンと落ち着いていない)ことを話する中で、6枚全体をまわしていないことを暗に指摘されました。そしてまわしてみて、今の最終形態へとなりました。


大三島は父の故郷で、幼い頃から毎年みかん狩りなどで訪れていた場所【*4】ですが、美術館ができたことは知らなくて。

ただ、ちょうどPARCで個展をする頃に、お世話になっていた竹内浩一先生と村田茂樹先生が大三島で展覧会をされることを知り、聞けば開館の頃からお付き合いがあったそうで。PARCの個展では大三島を描いた《もうひとつの故郷》という作品【*5】を展示する予定だったので、美術館の方にご案内をお送りしたんです。


  • 【*3】「ベリーマキコ・石橋志郎 ふたりの視点 Their point of view from KYOTO」今治市大三島美術館にて12月26日まで開催。>展覧会情報
  • 【*4】ベリーさん幼少時代、大三島にて。
  • 【*5】《もうひとつの故郷》 全景 / 部分

*4

*5

大三島の展覧会では昔話をもとにした絵巻も展示されていますね。

はい、今治市大三島美術館の学芸員の稲葉千容さんにお尋ねして、集めてくださった中から二話、「ひょうたん島」と「婆の岩」を選びました。話の流れが好きだったり、大三島(愛媛)の言葉が多く入っているというのも選ぶポイントではありました。大体は言い伝えでお話が伝わっているので、それを自分なりに表現できるのが本当に面白かったです。
言葉から想像して勝手に考えて、設定を作って、描いていくことがとても面白くて、私に合っていると思ったので、今後地元であるとか、他の場所でのお話もやってみたいです。

亀岡文化資料館に収蔵されている作品《太古カメオカ》も、亀岡盆地がかつて湖だったという伝承をもとに制作されましたね。その経験も影響していますか?

はい!とても難産でした。私の制作スタイルは、描いたものから私自身が影響され手を加えという作品とのキャッチボールで成り立ちますので、太古はこうだったかもしれないと想像するときはどんどん湧いて出てきますが、文章で残されているものを参考にしたりする段階ではなかなか行き詰りました。その中でも自分の表現で表そうとした時、とても難しいと感じました。

大三島での展覧会は緊急事態宣言に伴い一時休館になりましたね。(現在は再開。12月26日まで会期延長)移動が困難になったことで今後の発表・制作場所について思うことがあればおしえてください。

移動が困難にはなりましたが、最終的に思うことはやはり移動は素敵だなと思いました。その土地でしか感じられない風土や景色、人の生活がありますし、行き帰りの道中のドキドキ感もあります。幸い、亀岡にギャラリーが出来、パン屋さんやケーキ屋さんに作品を展示させていただき、「かめおか霧の芸術祭」もあるという、作家にとってとてもよい環境です。 地元で生活でき、制作できている今がとても有難いです。

2020年、この一年について

PARCは昨年に一旦スペースを閉鎖しておよそ1年が経ちました。ベリーさんにとっては、この1年はどのようなものでしたか。また、どのように過ごされていましたか?

皆さんもそうだと思いますが、やはりコロナに翻弄された一年でした。各所で展覧会をさせてもらいましたが、「どうぞ来てください」と言うことができないのは苦しく思いました。その中でも補助金を申請して画集を作り、作品をまとめることができました。【*6】parcstoreでも取り扱っていただいています。

手にとって見てくださる方がいらっしゃるので、そういう方々に届けることができて嬉しく思っています。

 

画集をつくりたいという思いは以前からあったのですか?寄稿をお願いした先生方とのエピソードなどあれば教えてください。

今まで制作してきた作品を、自分自身だけではどうにもこうにも整理が出来ない状況でした。パルクさんに編集してもらい画集としてまとめたことで、自分自身や自分の絵を客観的に見ることができる気がします。今もページをめくる毎に、このようにまとめてもらえたことをありがたく思っています。

大野俊明先生は学生時代からの恩師です。アメリカに行ったきっかけ(メトロポリタン美術館での仕事)も先生がくださいました。当時、暗い絵(重い絵)ばかりを描いていましたが、「もっとエスカレートしたらよい。膿を出したらよいよ」と肯定してくださったことはとても有難かったです。もしアメリカに行っていなかったら、20代を日本で過ごしていたわけで、そうだったとしたら、作家でい続けることはしんどいことだったのではないか?と思ったりもします。若い頃とは結果を出さないといけないという焦りがある時期だ、と思いますから。

野村久之先生とは、2017年頃だと思いますが、奥様の故日本画家 野村はるみさんとの2人展を京都でされている頃にお話させてもらうようになりました。展示をする毎に久之先生が観にきてくださるようになり激励のお言葉をいつもくださいました。先生は、「これだけ展示をしているのだから、もう画集を作って美術館に送りなさい」と指導してくださいました。88才の今も現役で制作、発表されておられます。作家としてのあり方を学んでいます。長年アートの指導のために住まれていたメキシコの空気とラテンのユーモアが溢れている先生の作品は、見るものを違う世界へ誘います。

竹内浩一先生は、2012年開催の「第4回京都 日本画新展」からお世話になっています。日本画家・竹内浩一先生の絵に長い間憧れを持っていましたので、実際に先生とお話させてもらえることは大変光栄に思います。 私の大学時代の恩師・中野弘彦先生は竹内先生の中学校の社会の先生ですので、先生も中野先生の教え子となり、私も中野先生の教え子であるという何とも嬉しいご縁があります。 今開催されている今治市大三島美術館での石橋志郎さんとの展示でも推薦書を書いていただいたり、何かとお世話になっております。

  • 【*6】ベリーマキコ 作品集「Being Guided」参考画像 >ONLINE STORE

*6

この1年の間に始めた新たな取り組みなどはありますか?

趣味的なことになりますが、オーブン陶土を始めました。陶芸にはずっと憧れているのですが、注文したらすぐに届いて、家のオーブンでできてしまう。新しいものを買うのもモチベーションにはなるんですが、あるものを活かせるというのが、なんでこんなに嬉しいんだろうと。以前、賞をいただいた時、賞金は消えていくものだから形に残しておこうと思って買ったオーブンなので、それを活かせているのが嬉しいのかもしれません。
使えるものを作りたい思いはありますが、やはり愛着を持って大事にしてもらえるような作品作りがしたくて、オブジェをつくることが多いです。

また、地元で子供たちに向けて教室をしているのですが、オンライン授業を始めました。普段は保護者の目から離れてのびのび楽しむ子供も多いのですが、自宅でいい作品ができる子もいたり、そういった一面も見ることもできて興味深いです。オンラインだと言葉で伝えることが多くなるので難しさはありますが、教える側としての学びもあります。 【*7】

外出しづらい日が続くなかで、子供達にも何か影響は感じますか?

学校の行事がなくなったりすることが何よりつらく思います。私達大人にとっての1年間と彼らの1年は全く違います。修学旅行に行けない、運動会、文化祭が出来ないというのは、そういう話を子ども達から聴く度に私自身がとても悔しく思います。子ども達の安定した精神の成長のために、普通のことが普通に行えることとは重要なことです。

PARCでは、昨年7月に[m@p]というプロジェクトを立ち上げ、ベリーさんにも参加いただきました。また、現在[parcstore]でも作品を販売しています。それぞれどのような作品ですか?

[m@p]は、扇子、木彫り作品、彩色桐箱、消しゴムハンコなど、その都度その都度、面白いと思ったもの、楽しいと思ってやっているものを送ります。【*8】

*[m@p]meet @ postプロジェクト>more


その他、絵を2点出品しています。《 Winter coat 》は女性の立ち姿を描いたもので、《 オアシス 》は、レジ袋を持った女性たちが木の下に立っています。 【* 9, 10】

 

レジ袋をもった人はベリーさんの絵によく出てきますね。ベリーさんはそういった日常を描いていますが、最近はマスクをつけることが日常になりました。そういった日常の変化もこの1年でありましたが、それによって絵にも変化が出てくるのでしょうか?

ビニール袋は元々、バックパッカーで海外旅行に行った時に「人が買い物して家に帰っていくのは世界中どこでも同じだな」ということを思い、観察して描き始めたんです。今後も、変わらず描くと思います。
ただ、すでにマスクをつけている人も描いていたりするんです。マスクから鼻が出ているのが面白かったから。だからそうして日常を描いておくということは面白いですよね。その時は日常でも、ちょっとしたことで日常ではなくなってしまうこともありますし。でも全員マスクをつけた絵だったら少ししんどいですし、日常で距離を気にしてしまう分、絵の中では気にしないようにしたいというのもあると思います。

  • 【*7】ベリーさんの教室の様子
  • 【*8】ベリーマキコ[m@p]スタンダード参考画像
  • 【*9】《 Winter coat 》《 オアシス 》参考画像 >ONLINE STORE
  • 【*10】《 オアシス 》部分

*7

*8

*9

*10

現在あるいは今後に予想する社会状況において、作品制作における環境やギャラリーなどのインフラに対して、そしてPARCに対して、どのような機能や役割があればよいと思いますか。

スペースを閉められたのは衝撃でした。でも閉じることになって、画集の制作をお手伝いいただけました。展覧会機能だけではなく、編集やデザイン等のサポートも引き続きやっていただけると嬉しいです。

次にPARCが再起動するならどういう空間をイメージされますか?

どんな空間でもついていきます。小さい空間でも、大きい空間でも大歓迎です。

  • 【*11】制作風景(京都芸術センター)

*11