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Exhibition info

KG + Special Exhibition

避雷針 と 顛末
Lightning Rods and Circumstances
澤田 華

Sawada Hana

2022.4.2. ~ 4.29.

Exhibition View

8 images

Statement

うるさい店内に充満する人々の会話や、静かな車内に響く誰かの話し声が気になって仕方なくなったとき、耳に入ってくる音を文字に起こして、ノートに記録してみることにした。無理に避けたり封じたりするのではなくて、呼び込む姿勢をとることで、健やかな気持ちを守ることにしたのだ。

ただし、その場から離れたあとも、メモは手元に残り続ける。ページを破いて捨ててしまうことは容易いけれども、今目の前に確かにあるものを、簡単にないことにするのは憚られた。
それは、あのときイヤホンを突っ込んで耳を塞いでしまわなかったのと同じことだ。そういう訳でとりあえず、持て余したこのメモに目を凝らしてみることにした。

 

澤田 華

About

2016年に京都精華大学大学院芸術研究科博士前期課程を修了した澤田華(さわだ・はな/1990年・京都生まれ)は、2017年の「未来の途中の星座‐美術・工芸・デザインの新鋭9人展」(京都工業繊維大学 美術工芸資料館 / 京都)への選抜参加、公募企画展「1floor2017『合目的的不毛論』」(神戸アートビレッジセンター / 兵庫)への出品、「第40回写真新世紀」の優秀賞受賞をはじめ、2019年には「あいちトリエンナーレ2019」(愛知県美術館ギャラリー / 愛知)への参加、2020年には「夏のオープンラボ:澤田華 360°の迂回」(広島市現代美術館 / 広島)に招聘されるなど、精力的な活動とともに評価・注目を集めています。


澤田は日常の中で、不明瞭・不確かなノイズとして認識してしまう「もの・こと」を「ない」とするのではなく、不明瞭で不確かな何かが「ある」と捉え、では「これは何か?」という問いを掲げます。そして、澤田はその問いを起点に分析・検証・解釈・想像の一連を作品として提示します。


澤田の代表的なシリーズ「Gesture of Rally(ラリーの身振り)」は、「かつてどこかに実際に存在したものが写ってしまう」という写真の特性を前提に、そこに写った不明瞭な「何か」を「実際に在ったもの」として捉え、そこに「これは何か」という問いを発生させています。この問いの答えはSiriやwebによる検索、想像図の作成、果ては立体化などによって探求されますが、しかしその「正解のない誤読」が答えにたどり着くことはなく、「これは何か」という問いは、「では、これは何か」という問いに戻されてしまいます。そして、澤田作品の鑑賞は、いわば鑑賞者にその一連のプロセスを体験・反芻させるかのようであり、いつしか鑑賞者をこの問いのループに巻き込みます。


本展『避雷針 と 顛末』は、2020年の「夏のオープンラボ:澤田華 360°の迂回」(広島市現代美術館 / 広島)での発表作品《 避雷針と顛末 》をもとに、一部に新制作を加えて再構成したものです。本作品でも澤田は、不明瞭で不確かな「何か」を起点に、検証・誤読・想像の一連の堂々巡りを作り出していますが、その起点をこれまでの実存の証拠としての「写真」ではなく、より実態のない「会話」においている点にこれまでとの違いがあるといえます。


本作品は澤田が街中や乗り物の中などで耳にする周囲の喧騒や会話の断片などのノイズから、澤田が特にハッキリと聞き取れた(認識できた)言葉をノートに書き取ったものが起点となっています。メモには『池田 Everybody て知ってるか』や『なにが終わったん?人生?』など、誰かと誰かの会話の断片や、何かの文脈の一部であったであろう言葉が書き記されます。次に澤田はSiri(AI)やweb検索などにより、個々の言葉について検証を進めていきます。さらに、澤田はこのメモをもとに、知人に対し、それぞれの言葉が対話として成立する『台本』の制作を依頼しています。更に役者に依頼し、出来上がった台本をもとに9本の映像インスタレーションを制作しています。いわば寸劇のようなその(再)対話は、役者の解釈、言葉の抑揚や小道具の存在によって意味や情報の性質が変化していくことにあらためて気づかされます。


これまでの作品制作において澤田は、写真という他者と共有可能な視覚情報を出発点として作品を展開させるとともに、その検証のプロセスにもweb検索やAIといった匿名的な総体を導入するなど、可能な限り(澤田)固有の主観が混入することを回避していたといえます。しかし、本作で澤田は「自分自身がハッキリと聞き取れた(認識できた)」言葉、自身の能動的な認識を出発点として作品を展開させています。そして、「これは何か」という問いが指す「これ」すらも不確かな中で、他者にその解釈を依頼し、問いのループを発生させているといえます。本作において澤田は、いわば自らを曇天の空の下の「避雷針」として、自ら落雷を掴み、呼び寄せるとともに、そこに流れる見えない何かが地上に何を引き起こし、どのような「顛末」を見せるのかについてを観察の対象にしているといえます。


「正解のない誤読」「実態の無い何か」を巡り、これまでと異なるアプローチによって展開する本展において、最初はそれぞれの「顛末」を眺めていた鑑賞者は、半ば強引に「問い続ける」、「想像し続ける」ことを促されることとなります。そして、いつしかそれぞれが「避雷針(好奇心)」となって、また何かを掴み寄せ、その果てのない顛末を想像しはじめるのではないでしょうか。

 

作家情報について詳細はこちらよりご覧ください。 >Artist info