Gallery PARC[グランマーブル ギャラリー・パルク]では、2018年4月13日(金)から4月29日(日)まで、澤田華による個展「見えないボールの跳ねる音」展を開催いたします。
2014年に京都精華大学芸術学部メディア造形学科版画コースを卒業、2016年に同大学大学院芸術研究科博士前期課程を修了した澤田華(さわだ・はな/1990年・京都生まれ)は、2017年に選抜による「未来の途中の星座‐美術・工芸・デザインの新鋭9人展」(京都工業繊維大学 美術工芸資料館・京都)への参加、公募企画展「1floor2017『合目的的不毛論』」(神戸アートビレッジセンター・兵庫)への出品、「群馬青年ビエンナーレ2017」(群馬県立近代美術館・群馬)への入選、「第40回写真新世紀」の優秀賞受賞など、その精力的な活動に呼応し、広く評価・注目を集めています。
澤田は近年制作している《 Blow-up 》シリーズや、《 Gesture of Rally 》シリーズにおいて、印刷物やウェブ上の画像投稿サイトにある写真に小さく写り込んだ「正体不明の何か」に眼差しを向け、「これは何か?」という問いを立てることを始点とした解析・推理・検証のプロセスを作品として提示してきました。
『近年制作している「Gesture of Rally(ラリーの身振り)」シリーズは、ノイズとして排除されてしまうような写真の不鮮明な細部を起点とし、分析・検証を繰り返しながらイメージの誤読を重ねることで、「写されたもの」の認識を問う作品である。(ステートメントより)』
画面や意味(テーマや意図や文脈など)の上で「無かったこと」として認識の外に置かれる「正体不明の何か」について、澤田はそれを「あった」ものとして扱うとともに、そこに「これは何か?」という問いを立てます。しかし、この問いは「これは〇〇である」にたどり着くことはありません。
実際の検証のプロセスにおいても、引き伸ばされた(拡大された)写真は印刷による網点の集合である事実を示し、画像検索の結果はすべて可能性という等価の状態に置かれ、立体物はその構造や物質感のほとんどが想像によってのみ成り立たっていることを明らかにするだけで、答えはどこまでいっても宙づりにされたままです。
写真はその特性において「過去」に「事物」が「そこ」に「あった」ことを示しているといえます。この特性は澤田の作品において「正体不明の何か」が「そこ」に「あった」という事実を指し示しているといえます。そして、この写真に写った「正体不明の何か」が「正体不明の何かである」という揺るぎない事実を前に、揺らいでいるのは私たちの認識や想像であることが明らかにされます。澤田の作品は、「事実の写真」として過去に固定されてしまう写真を、目の前の「写真という事実」へと転じさせます。そして、それらに「これは何か?」という現在の問いを向けることで、そこに「未知」を認め、未来に向けて検証・想像するモーメントを発生させます。
《 Gesture of Rally 》シリーズの最新作によって構成される本展『見えないボールの跳ねる音 Bouncing Sounds of an Invisible Ball』は、写真に小さく写り込んでいる正体不明の未知を巡って繰り広げられる不毛なラリーであり、答えを宙づりにしたまま、未来に向かって延々と繰り返されます。
* 本展は「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」のサテライトイベント『KG+』にSPECIAL EXHIBITIONとして参加しています。
近年制作している「Gesture of Rally」シリーズは、ノイズとして排除されてしまうような写真の不鮮明な細部を起点とし、分析・検証を繰り返しながらイメージの誤読を重ねることで、「写されたもの」の認識を問う作品である。
「Gesture of Rally」(ラリーの身振り)という言葉は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画『欲望』のラストシーン、パントマイムでテニスの試合をする人たちを写真家である主人公が眺める場面から着想を得ている。
この映画の中で主人公が、自分の撮影した写真に死体のようなものが写っていたのを見つけたように、わたしは古本に載っている写真の中に勝手に事件を見出していく。写真に小さく写り込んでいた正体不明の物体を巡って繰り広げられる不毛なラリーは、答えを宙づりにしたまま、延々と繰り返される。
澤田 華