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Artist Interview
堤加奈恵Artist Info
ギャラリー・パルクでは初めてとなる堤加奈恵の個展「土から生えるもの 土に眠るもの」。展示作品についてそれぞれお話しを伺いました。(取材日:2024年5月下旬)

「土から生えるもの 土に眠るもの」展示風景(2024, ギャラリー・パルク) 会場撮影  :麥生田兵吾
展示作品について

大学を卒業してしばらくした頃から、自分で織った布を使って造形作品を作るという活動をずっと続けていて、今まで化学染料のみで糸を染めて、自分の好きな色を出して作品を作ってきました。コロナ禍で必然的に家の中にこもらないといけなくなって、外出するとしたら近くを散歩するぐらいという状況になった時、深泥池を散歩していたら保全活動してる方々に出会いました。保全活動を手伝うようになって、植物についてたくさん教えてもらう機会が増えました。それで植物で染めてみたいなと思うようになり、持ち帰った植物でどんな色になるか台所で切手サイズに染めるということを、コロナ禍に半年ほど日課のように続けてノートにまとめてたんです。驚くほど色が出る植物とかもありました。その後、たまたま久しぶりに化学染料で染める機会があったのですが、ものすごく鮮やかに感じられました。しばらくの間植物の色素と関わっていたからか、ものすごく人工を感じました。植物から出てくる深みのある色と、人工の雑味のない色。この染料の違いについて何か表現できないかなと思い始めたのが今回の展示のはじまりです。【*1】

ただ、どうしたら表現できるのかということがわからなくて、ずっと考えてたある日、空に虹がかかっていたんです。いつもなら虹そのものを見るんですけど、その時はずっと合成染料と植物染料の違いをどうやって表現できるのかというのを考えていた時だったので、虹の後ろに視線が行って。雲が流れていく様子とか、雲がどこかに流れて空だけになる様子とか、虹も色味が変わって見えたんです。グレーの雲が後ろにある時と青っぽい水色の空が後ろにある時とでは、やっぱり虹も色が変わるので、それがずっと考えていたことのヒントになると思ったんです。この時の経験や気づきが、今回の展覧会のDMに掲載している言葉につながっています。

  • 【*1】植物と染めのサンプル

*1

《Prologue》について

染織という方法を使って作品を作っていると、染織技法をやっている人には理解できるけれど、やったことない人にはわからない、ということが先に立つと思うんです。私は作品を作る上で、いろんな方とコミュニケーションがとりたいと考えています。染織の工程の中に棲まう美しさってすごく多くて、工芸という分野にはそういった部分がとても多いと思っているので、そういった作業に含まれる美しさを作品から滲み出させることをずっと考えています。 でもそんな自分の気持のためだけに作品をつくってしまうと、それは、今までの制作スタイルだと、美しさは表れ出てくれないと感じていました。作業に潜む気持ち良さに従って作品を作ると、技術競争作品になり、超絶技巧の工芸作品として着地します。染織をやったことない人には到底わかり得ない作品になってしまうんです。どうにか分解して、シンプルな状態にしたもので表現したいと思って制作したのがこの作品です。【*2】

ーわかりえないっていうのは、理解できないということよりは、そこに気づかないということでしょうか?

そうですね。近い気がします。
多くの人は、すでに織られた布はたくさんみているけれど、布になる前の糸の段階でどういう表情をしているというのは見たことがないという人も多いと思います。私は、糸を染める前の真っ白な状態も知っていて、そこからさまざまな作業を経て何らかのものへと仕上げていくので、今目の前にあるこの作品に関しても、見た時に得られる情報量はとても多いし、同じ技術や技法でやっている方も同じだと思うんです。でもきっと染織をやったことがない人にとっては、気づかないことも多いですよね。
今の時代は手織りといったとんでもなく時間のかかる仕事を知らない人が多い。それがとても寂しいと感じます。どうにか現代を生きている人たちに染織についてひとつ理解を進めてもらえたらと、私がその染織をやる上で、美しい・楽しいと思っていること、その部分をシンプルに表現したのがこの作品です。

半分から上はベースが植物染料で、縦に入っている3色は化学染料で染めています。上半分は、植物染料の深みも少しプラスされて、より深い色になっています。植物染料で染めるにはそれなりの技術が必要で私なんかはただ色をつけているだけにすぎないんですけど、この作品は色の美しさより色の深さを表現したいと思ってつくったものです。化学染料のみの部分はとても鮮やかで、こっちの方が美しいという人もいると思います。ただ私は植物染料をベースにした深みのある方も美しいと思っています。 深泥池で集めてきた植物で淡々と染めてる時に、今は染めやすい素材がいっぱいあるけれど、この結果にたどり着くまでに、何百年も前に植物ひとつひとつを試した人たちがいるのだろうと想像しました。そのトライアンドエラーが積み重なって今があるということに身震いしました。柘榴は食べた後のガラをみて思いついたのかもしれませんし、茜もそうですが薬草でもあったと思います。虫除けに使っていたり、染めるという行為も、色だけを楽しむためにしていたわけではないと思います。

ー表面を強くするとか、何かを避ける・除けるといった機能が合ったということですね。

そうですね。染めることによって繊維が強固になるとか、意味があって染められていると思います。 色だけのためにこうやって何かを染められる時代を、私は謳歌してると思うんですよ。

ーちなみにこの茜や柘榴というのは深泥池にある植物ですか?

これは染料屋さんで購入したものです。染料として使うには相当な量が必要なので、自生している植物で作品を作るというのは大変で、今回は断念しました。

ーところで、堤さんはよくウールを使われていますね。

私の個人的な好みの割合が高くて、そもそもふわふわしたものとかモコモコしたものとかキラキラしたものとか、幼少期によくおもちゃとして手元にあったものの質感のようなものをずっと引きずってる気がしています。
毛布とか大好きですし。何かそういうものがあることによって、安心感に繋がってるみたいなのがあって最近はこうやってウールでノッティングっていう絨毯を作るの方法を何か作品に取り入れることが多いんですけど、何かこれは何か作品をなんか成立させるための何か装置みたいな役割があって、今回展示しているものもそうなんですけど。絵画とかで言えば多分額とかも近いのかもしれない。

  • 【*2】《Proligue》

*2

《時雨のあとの》

これはちょっと毛が生えている、ちょっと大人にしたバージョンの作品で、ベースの植物染料はログウッドと茜です。

これは、作品プロローグをちょっと大人にした作品です。一番、作品として観やすいのではないかと思っています。4枚の布で成り立った作品です。【*3】

化学染料だけだとはっきり発色するんですけど、ベースにログウッドを染めてから入れるとちょっと落ち着いた色になります。少しくすんで見えるんですけど、地に足のついた色だなと思っています。 真ん中のしめ縄のようなものは昔の機屋さんが閉める際にいただいたメタリック糸で縄をなって配置しています。しめ縄は結界の意味があると思うのですが、染織も祈りや呪いに結びついていた時代があり、今でもそういった側面はあるように感じています。ある本を読んだ時に、植物で染めるときに、同じようにやっても綺麗に染められる人とそうじゃない人とに分かれると書いてありました。料理でも同じレシピで作ってすごく美味しくなる人とうまく味がまとまらない人がいるじゃないですか。タイミングとか順番とか目に見えるもので説明がつくことももちろんあるけれど、そうじゃない要素もあるんじゃないかと私は勝手に思っています。

  • 【*3】《時雨のあとの》

*3

写真とテキスト

今回、パルクで展示できることになり、来てくださるお客さんのことを考えた時に、自分が何考えてこんな作品を作ってるのかを、もう少し分解してわかりやすく伝えるものも必要かなと思って、配置しています。今の人たちは写真を見慣れていて、撮ったことがない人は誰1人としていないと言えるほど身近だと思うので、写真が私の作品を鑑賞してくれる時に手助けになる気がしました。ですので、今回初めて、iPhoneで撮った私のメモを所々に配置してみました。【*4】

ーこれは今回の展覧会のためというよりは、普段から撮っていた写真で、撮った時期もバラバラですか?

そうですね。自分が面白いとか、何かこれ作品のことと何か繋がるかなとか思ったときに、ぱっと写真を撮っているものです。いつ撮ったのかも覚えてないものも多いです。




  “ 十数メートルの細い絹の糸を整経した時のこと。
  糸の上を繰り返し撫でる作業に潜む、なんとも幸せな時間。
  こんなにも艶やかで滑らかでいつまでも触れていたくなる触感があるのかと思った。”

 ※整経 織り機にセットする為のたて糸を準備する工程で、同じ長さの糸を必要本数作っていく作業。 



すごく気持ちいいんです。シルクは染めやすく織りやすく様々な方面での改良を重ねた上で今の糸があって、私にその艶やかな質感を与えてくれてるのはそのおかげなんですけど、シルクの布では味わえないあのツルツルした束感。手がもう美しいとわかるというか...「美しい」とずっと撫でています。

ーでもそれを織っていくということは、その素晴らしさや美しさを解体していくことにはならないんですか?

そこはジレンマですね。私は、掃除された部屋がすごく好きなんですけど、掃除してもらった綺麗な部屋より自分で綺麗にした部屋のほうが気分がいいんです。作品も同じで、誰に頼むわけでもなく自分で織って作品として仕上げていくことを自分で全部やる理由は、それに近いと思います。【*5】
糸の美しさを伝えるために、そのもの自体をここに展示して、触ってもらって気持ちよさを共有できたら一番早い話なんですけど、それはちょっと違う気がしています。難しいことは重々承知していますが、作品を見て制作に興味を持ってもらってご自身でそこまでたどり着いていただきたいという希望を持っています。


  “糸を絡ませてしまったら指を駆使してほどくしかない。
  前日に爪を切った事を後悔した。
  当てずっぽうに引っ張ると塊は強固になる。
  観察し、どのタイプのトラブルか手で探っていく。

  まるで人間関係を円滑に進める為の
  ヒントを教えられている、といつも思う。” 



黙々と作業してるのは、面倒なのは面倒なんですけど、嫌は嫌なんですけど、糸のかたまりを1本1本ほどいくことにも、織物の作業自体にも瞑想的な役割があると思うことがあります。私自身、本当は激しい人間な気がしていて、織ること、ほどくことによって少し落ち着いている気がします。

糸の絡みは、人間関係みたいだなってずっと思ってて。ちょっとした糸の持ってる癖が原因となってものすごい玉になったりするので、糸がどういう癖を持ってるのかっていうのを作業前に見て、「この糸はこういうタイプだから、これを気をつけていかないと絡みそうだな」と考えてやってると、人と人との関係と同じだと思うんです。これまでも糸をたくさん絡ませてきましたが、糸から教えてもらうこともたくさんありました。 黙々と作業してるのは、面倒なのは面倒なんですけど、嫌は嫌なんですけど、糸のかたまりを1本1本ほどいくことにも、織物の作業自体にも瞑想的な役割があると思うことがあります。私自身、本当は激しい人間な気がしていて、織ること、ほどくことによって少し落ち着いている気がします。


  “ある日、東の空に虹がかかっていた。
  特に急ぐ用事もなかったので
  しばらくじっと見ている事にした。
  向こうの方で、ゆっくりと形を変えながら
  漂う雲が7色を通過していく。
  雲の後ろにある空色も、
  雲のいないところで色付く。 

  その時、天然染料と合成染料の性質について、
  説明されたように感じた。”




  • 【*4】展示風景 iPhoneで撮った写真のメモ
  • 【*5】制作中の様子 写真:渞忠之

*4

*5

《土から生えるもの 土に眠るもの》

先ほどお話した虹の話、虹の後ろに雲がある状態と雲のない状態を、植物染料と合成染料で表現している布の作品です。この作品のタイトルが、今回の展覧会のタイトルにもなっています。

今この世にあるものはすべて土から生えてくるものと、その下で眠るものだと思うんです。
今回私が扱っている植物染料は土から生えているもので、炭素は土の奥深くに眠っている植物の化石だったりするので、合成染料も土の下で眠ってたものが原料になっています。

染織の方法で作品を作る上で、布の持っている様々な表情や美しさを伝えたいと思っています。シワになっていたり、逆にピンと綺麗に張られていたり、スカートのプリーツ、カーテンのギュッと集まった厚み...布を造形物と見たときに、その魅力を作品の最終の見せ方に持っていきたいという気持ちは常にあるので、この作品は、カーテン状の布と椅子が一体化していて、虹のような変化をしていく布が重なっているというものにしました。【*6】

  • 【*6】《土から生えるもの 土に眠るもの》

*6

「織る」と「編む」は別の行為

最近混同されることが多いんです。織りの作品について、編む・編み物と言われることがとても増えて、編むに織るが吸収されているように感じることが多いんです。なので、この作品が「織るってなんだっけ」「編むってどういうことだ」といった会話のきっかけになればと思っています。【*7】そういったことが、忘れ去られてる気がするので。

ー編む行為は、手芸的で、生活の中にあるものですが、織りはそうではないのでわからない、ということも多いのかもしれません。場所もいる、人もいる。家庭というよりはもう少し広くコミュニティの中での作業だったのかもしれませんね。

そうですね。地域一帯での作業だったのかもしれません。そして、大変な作業だったのだと思います。生活の中から消えていると言うことは。

  • 【*7】《「織る」と「編む」》

*7

小作品について

ー板を包んでいるのは?

布を1枚でぺらっと展示することももちろんすることはしますが、布って使ってなんぼだと思っているので、包むとか纏うとか何かしらの行為も一緒に展示したいと思っているので、包んでいます。【*8】

私は、博物館などにある「これは何かな?」とぱっと見てわからないものに興味を惹かれるんです。今の時代では絶対使わないかたちのものもあって、「これはどうやって使うんだろう」と考えていると夢が膨らむんです。ですので、この作品は、自分自身で「これはいついつに、こうやって使われてたもの」という想定をして作っています。「こういうものがありそう」と想像して。

2018年頃に、ある架空の村を想定して、その村で使われていたものや神様のようなものをつくったんです。今回冒頭に展示している3つの作品【*9】はそのうちの一部で、ある村のそれぞれの家の中で使われている、それぞれの家の中の神様の形として作った作品です。今考えていることの出発点にはこの作品群がある気がしていて、今回展示しています。

ー確かにどこかの町の民俗博物館とかにありそうです。

例えば、京都だと愛宕山のお札が台所にありますよね。ああいったかんじで使われていたと想定しています。染織はそういった地域コミュニティや文化、産業と結びつきが深いところがあると思うので、ある村で発展していった布を想定して作品にしてみたくなったんです。 その時は表面的に表現していて、形や色がそれっぽいとか、ただそれだけだったんですが、それではダメだと思っていたことが植物に興味を持ったきっかけになっていると思います。
深泥池の話に戻るんですけど、深泥池周辺だけっていう制限を自分に与えて、そこだけで採集できる素材や植物で作品をつくってみたいとずっと思っています。そうすることによってリアリティが増すというか、この地域でこの布が発展したのにはこれがよく生えるという理由があるとか、この色が多いのはここで育ちやすかったからとか、そこで育まれた確かな理由があることによって説得力のある何か作品ができるんじゃないかと思ったことがスタート地点なんです。ただ本当に地域を限定すると作るものが限られてしまうことが今のジレンマで、今回は自生している植物を用いることは一旦置いておいて、現時点で私が思ってることを形にした展示にしました。

  • 【*8】《northen》
  • 【*9】展示風景 左から《LAULAT of Textile “T”》《LAULAT of Textile “G”》《LAULAT of Textile “R”》

*8

*9

《引力 / 重力》

これはメインの作品《土から生えるもの 土に眠るもの》を、1枚の布に入れ込んだ作品です。1枚の布に4色の植物染料がベースで入っていて、合成染料で上から色を入れています。【*10】

植物染料をベースに入れても、合成染料は難なく染まるものなんですか。

入りにくくなっていると思います。例えば、メインの作品は、右の方は漆で染めているんですが、合成染料の色が入りにくかったです。植物染料と一言で言っても種類によって全く異なるので、それに合ったいい方法を見つけていく作業が、常に自分主導ではなく、寄り添ってやらねければならず、それがとても気持ちがいいです。昔の人たちはそれが大変でシステマチックな社会を築いたと思うのですけど、こちらが植物や季節に合わせていく気持ちよさみたいなものを私は感じます。

自然なものをなくそうとしている動きを感じていて、人間から力をどんどん吸い取られている気がして、悲しいと思います。染織も、今後、もう一度染織がブームになるということはないんじゃないかと思っていて。ということは、忘れられる一方、減っていく一方で、たまたま私はこの仕事がすごく好きというか、性にも合っていて、作品をつくって幸いにも展示をすることができる。作品で、何かを伝えることはできるんじゃないかと思って、こうして作品を作っています。

  • 【*10】《引力/重力》
  • 【*11】会場風景

*10

*11