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Artist Interview
林勇気Artist Info

GalleryPARCにおいて7年ぶりとなる林勇気の個展「灯をみる」では、11名の参加者による写真とエピソードの展示、その写真を蝋燭の灯による幻灯機によって映写する「場と時間」を作品として提示した林勇気さん。これまで数多くの映像作品を制作、展示・上映してきた林さんにとって、今回の試みに至った経緯や、展開についてお話しをお伺いしました。(取材日:2024年4月中旬)

「灯をみる」展示風景(2024, ギャラリー・パルク) 会場撮影  :麥生田兵吾
展示作品について

ー今回の作品は新作ですね。全体で1作品ということでしょうか。

そうですね。全体で一つの作品です。作品を展示している空間だけではなく、それに付随する行為と時間、場もあわせて一つの作品になります。

  • 【*1】展示風景 撮影:麥生田兵吾

*1

ー改めて今回の作品についてお聞かせください。

参加者・出演者をSNSを通して募集して、最終的に11名の方に参加と出演をしていただきました。「忘れられない1日」というテーマで写真とエピソードを提供いただき、それを展示、上映しています。【*2】
それそもそもなぜこのテーマで募集したかというと、蝋燭の灯で写真を映写できないかと考えたことが始まりです。そのことがまず始めにあって、募集する写真のテーマや制作手法を考えていきました。
焚き火もそうですが、火を囲むというのは、人間の営みとしてすごく昔から行われていたことですよね。蝋燭の灯を見て、その灯で投影されたイメージをみんなでみている場であるとか、その灯が続いている間の時間そのものを、作品にしたいなと思いました。

  • 【*2】「忘れられない1日」写真とエピソード 撮影: 麥生田兵吾

*2

ー幻灯機で映写することを考えたのも、その構想時点ですか?

具体的な映写方法までは考えておらず、調べていく中で行き着いたのが、過去の幻灯機や映写機でした。普段は作品展示でプロジェクターやモニターを使うことがほとんどです。映写の仕組みや意味のようなこともこれまで作品・展覧会に取り込んでいたので、その延長として考えたところもあります。 私が調べた限りでは、ガス灯で映写する幻灯機がほとんどで、蝋燭でも映写されていたという事例はありますが、調べた範囲ではそれほど情報が多く得られませんでした。そこで明治時代の幻灯機(この幻灯機もガス灯を光源としています)を購入して構造なども調べてみたり、試行錯誤しました。

ーフィルムの映写機ですら現代では馴染みがないので、「幻灯機での上映・映写」【*3】がどういうものか言葉だけではピンと来ないお客さんもいらっしゃいます。また上映中「これは動かないんですか?」と聞かれることもありました。動画や大量の写真をみることが日常生活のベースにある方も多いのだと感じます。

蝋燭の灯で1枚の写真をずっと見続けるのは、体験の強度としては強いと思うのですが、言葉だけでイメージするのは難しいですよね。10分間、1枚の写真を見続けるという経験は、今の世の中ではあまりないじゃないですか。すぐにスワイプするとか、パラパラっと見るとか。1枚の写真を注視するという体験と時間を作品で提示できたらいいなと思っています。幻灯機の映写でもスライドを切り替えたり、動かしたりするものが多いです。ですので、従来の幻灯機の使用方法から考えても特殊な視覚経験になるのではないでしょうか。

ー自分には関係がない1枚の写真をずっと見る経験も面白いですよね。

エピソードと合わせてみると、よく似た経験があるとか感情移入する隙間みたいなものがあるのかなとも思います。

ー映像もあるように、参加者・出演者の方も同じように幻灯機で映写したものをご覧になられたと思うのですが、皆さんどんな感じだったんですか。

映画をみる時の体験に似ているという方もおられました。「ロマンチックな経験だった」とおっしゃる方もいました。

  • 【*3】幻灯機 蝋燭の灯を使った上映・映写 撮影:麥生田兵吾

*3

ー今回は、上映前に(手前の空間の)作品を消灯する時間も含めて鑑賞していただく作品ですが、このようなことは以前にもされていたのですか。

2016年に京都芸術センターで「電源を切ると何もみえなくなる事」という個展【*4】を開催しました。その時は、個展中に機器の電源が落ちてみられなくなるという状況・時間を1日のうちに数回設けました。映像は電源や機材がないと映らないということについて常に考えていて、それを展覧会の枠組みで提示したいと思いました。
その後も同じ様な試みを続けていて、プロジェクターは映像信号がない状態はブルーの画面が映し出されるのですが、そのブルーの画面をずっと映写している画面を展示したりしていました。2022年のクリエイティブセンター大阪での個展「君はいつだって世界の入り口を探していた」でも、オープン時に会場で電源をつけるところからお客さんにみてもらって、クローズ時には、私自身が電源を全部消していき、最後、真っ暗になったところで蝋燭の灯を灯してそれを設置して消えるまでみんなでみるということをしました。今回の作品は、そういったことをやってきた流れにあります。

  • 【*4】個展「電源を切ると何もみえなくなる事」《memories》(京都芸術センター,2016年) 撮影:表恒匡

*4

ー見えないものというよりは”見れない”ものがある状態で、作品や作品の一部が”見れない”状態も含めて作品だと捉えていることですか。

見れない時間や状況を展覧会というフォーマットや作品というかたちに落としこめないかとずっと考えています。でも、作品と言えるのか、単に状況を見せているのか、言葉にして言い切るのは今のところまだ難しいなと思います。

ープロジェクターの映像が切れた時に、夢から起こされる・引き戻される感じがします。

「映像を見ていた」というところに立ち戻るというか、映像の世界の中に意識が没入していたけど、映像が切れることで、「今、私は映像を見てたんだ」と気付き、意識が自分の身体に戻ってくるような感覚になることもあると思います。そういうことっておそらく日常的にも起こっていることだとは思うんですけど、それを、展覧会の枠組みの中で体験してもらうことを考えています。

ー「映像の世界は虚構の世界だ」ということなのでしょうか。

完全な虚構の世界ではなく、画面の向こうに世界がある、ということをずっと考えて映像制作をしてきました。その向こう側の世界は現実と繋がりのある世界としても捉えています。目の前で、電源が切れて、もうひとつの世界への入り口が閉ざされ、「あっ」となって体の中や心の中で現実の世界を確認してるということがあると思います。身体・心、それと対峙する現実の世界、さっきまで流れていた映像の世界(もうひとつの世界)があって、その3つがそれぞれに存在を再確認する機会と時間になるのかもしれません。

電源を消すことにはもうひとつの意図していることがあります。私自身がずっとテーマにしている記憶や記録というものに関わるところでもありますが、いつか形あるものは消える、終わってしまうということはずっと強くあって、多くの作品や展示の起点になっています。だから記録する・残すということや、一方で、消えてしまうとか、時間の経過とともに失われていくものみたいに背反する物事を作品や展覧会として形にしようとしているのだろうなと思いますね。映像が切れてはっとすることは、ある種のひとつの終わり方を提示しているところがあるのでしょうね。

ー現代では、映像や写真に残すことはどんどん容易に、気軽になってきていますね。

そうですね。代表作の《もう一つの世界》というシリーズや《landscape》というシリーズ【*6,7】がありますが、それらはまさに、写真などが日々気軽に撮影され、アップロードされている状況を可視化させるような作品です。自分自身も生きている時間の中でパシャっと写真を撮ることによって、そのことを強く意識する瞬間がありますし、写真を見直すこともやはり増えています。撮影した過去から現在までの距離みたいなものを測ったりはしやすくなってるのかなと思います。ただ、一方でデータを保存することについて長い時間軸でみると課題は非常に多いです。

  • 【*6】《another world -alternative》(2017年,兵庫県立美術館蔵)静岡市美術館での展示風景 撮影:木奥惠三 
  • 【*7】《landscape》(2009年,兵庫県立美術館蔵)アートコートギャラリー(大阪)での展示風景 撮影:坂下清  

    *6

    *7




    ー少し話が変わりますが、今回、参加者の方は「出演者」でもあります。みなさん、映像の中でエピソードを読みあげていらっしゃいますが、演出などはされたのですか?それとも自然体で読んでもらっているのですか?

    演出はしていません。演技らしい演技というものを自分の作品の中に落とし込まないようにしています。私自身、映画をみている時に演技らしい演技が気になってしまうこともあり...。普段話されているそのままのトーンで読むほうが、楽しさであったり悲しさであったり、その時感じたことが含まれると思うんです。演技という要素が入ってくると、その微細な感情や記憶みたいなものが見えにくくなってしまうように思います。

    ー林さんは映画を撮られたこともあると思いますが、映画を撮ることと映像作品や展覧会をつくることの違いというものはありますか?

    違いはあまりなくて、つながっていることが多いです。記録や記憶への関心はずっとあって、初期につくっていた映画の作品【*8,9】でも、記憶にまつわる作品をつくっていますし、表現の仕方や関心は動きながらも、やろうとしていることや幹の部分は変わらず、太い芯みたいなものがあるなと思います。

    • 【*8】《景色の映画》(2001年)
      アニメーションと実写を組み合わせた作品。失われた時間や関係について追想するような作品。 大学院の修了制作として制作した。バンクーバー国際映画祭、香港国際映画祭などで招待上映された。

    • 【*9】《minamo》(2001年)
      山中の廃線沿いにたいせつな何かを埋めに行く主人公と、その様子を撮影する撮影者の物語。フィクションと日常が溶け合い虚実がゆらぐ。 友人たちと開催していたクラブイベントでライブ上映を行った。その後、再編集をしてソウルの映画祭などで上映された。

    *8

    *9


    ー今回の作品はご自身でどのように位置付けられていますか。

    これまでの展覧会や作品の中に散りばめてきた様々な要素を、ひとつの作品・展示として縫い合わせて提示しているような感覚があります。例えばワークショップや他者へのインタビューを通して作品をつくっていくという手法は今回も用いていますし、ガラスをモチーフにした作品は今回のガラスのスライドにつながっています。火を囲むという場・行為は、大阪中之島美術館で発表した《瞬きの間》(2021-2022)【*10】やクリエイティブセンター大阪での個展【*11】で試みに繋がります。今回はそれを前景化させています。これまで手がけてきた記録や記憶、写真、映像・映画、電源のオンオフ、光と影、そして、蝋燭の灯がつき、消える...そういったさまざまな要素を繋ぎ合わせた作品・展覧会になっています。

    ー今回の作品は、今後、発展させていくことも考えられていますか。

    蝋燭の灯でイメージを見るということや、蝋燭の灯をモチーフにすることは続けてやっていこうと思っています。出演者・参加者の関わり方など、いろんな可能性があるように感じています。

    ー今後の展覧会などのご予定について教えてください。

    豊中市立文化芸術センターで2025年春と2026年春に個展をおこなう予定です。
    また、東京の映画館イメージフォーラムで秋に上映の個展をすることになっています。短編の映像作品をいくつかまとめて上映します。そこで発表する予定のクリエイティブセンター大阪の個展でも展示していた作品《Our Shadows》(2022-2024)を編集し直していて、ようやく完成しそうです。那覇市にある施設のコミッションワークの制作をしています。

    • 【*10】《瞬きの間》 (2021-2022年,大阪中之島美術館蔵)
    • 【*11】個展「君はいつだって世界の入口を探していた」(クリエイティブセンター大阪,2022年)撮影:麥生田兵吾

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