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Artists Interview

日常への眼差しを絵具と筆の動きに置き換える田中秀介。
ギャラリー・パルクでは、展覧会「私はここにいて、あなたは何処かにいます。」(Gallery PARC Art Competition 2015 採択企画)、「ふて寝に晴天、平常の炸裂。」(2017年)に続き、2021年の「すべ と しるべ 2021」プロジェクトにおいて、築400年を超える旧酒造にて「馴れ初め丁場/ Beginning of love」を開催。2022年にこの展示をギャラリー・パルクの展示空間にて再構成した「すべ と しるべ (再)2021-2022」において「先見の形骸団子 / Creating foresight through unity」を開催。
本インタビューでは、「絵」の成り立ちやタイトルとの関係から、展示中の作品について伺いました。(取材日:2022年7月)

田中秀介 制作スタジオ
「事態に近づく」

ー現在、どのようなことを考えて絵を描いていますか?

「事態に近づく」ために結果的に絵というかたちになっているというか。。。
描くことがそもそも好きで、そこから絵を使って自分に何か落とし込もうとしているんだな、と、ここ10年ぐらいかけて徐々に気づいてきたように思います。
生きていて目の当たりにすること、起きている最中に気になることが多いんですよね。気にならないことも気になるというか。常に、こっち見てあっち見てといった感じで。
その中に、いわゆるその「場・瞬間」において完成された「事態」があって。それをどうにか取り込もうとするんですが、取り込めない。食べれるわけではないし、持てるわけでもなし、匂いとかもないし。となった時に、私の中で、「描く」というのが最短でその「事態」に接近できる術(すべ)というか。描くことによって、その「事態に近づく」ことができるんですね。私は筆とか、時には指とかで描いたりするんですが、何であってもなんとなく画面上にできていくんですよね、その状況というか、その「事態」が。
例えば、部屋の中のごちゃっとした様子を見て、そこから何かを指し示すというのは僕は難しいんです。でも描くことによって次第にわかってくるんです。「だから描いたんだ」とか、「だからここに目がいったんだ」とか。そうすると、最初は何かわからなかったものが、「何か」を指し示すことになっていくというか。

ー描くにあたって、その場や状況は写真に撮るんですか?

写真は撮ります。その事態をたどる要素として。【*1】
でも、写真をそっくりそのまま描いちゃうと、その時に抱いた違和感というか、目が止まった原因とかを辿れなかったりするんです。
例えば、夜に信号が赤く輝いていて、美しいとか違和感とかを持って、それを写真におさめるじゃないですか。で、それを見ながら描いてると、描いていくことができる分、絵はいわゆる完成という方向に進んでいくんですが、そこで「僕が見ていた赤色じゃないな」ってなってくるんですよ。「もっと大きく見えてたな」とか「もっと黄色みがかかってた気がする」とか。で、そこに「私」の補正がかかっている。かたちや色も。「信号の横に人がいてたな」となると、人が(絵に)出てくるんです。逆に消えてしまったりとかもします。今はそのようなプロセスで制作を進めています。

  • 【*1】田中が撮影した写真

*1

「タイトルで蓋をして完成」

ータイトルはどの時点で、どのように決めるのですか?

私にとって絵のタイトルというのは、もともとすごく長文なんですよね。実際に文としては書いていないんですが、『これこれこれこれこういうことがあって、こうだから私はこういうふうに感じて、そこになになにとなになにがあって、こうだ』というようなことがあって、それを描くことによって、ぐーーっと縮めていく。縮まっていくんですよね。それで最終的に、割とシンプルな状態に落ち着いていきます。
要は絵って結果的にはシンプルなものだと思うんです。そこに至るまでには複雑だったとしても。それこそ何かが指し示されてた状態であって、その中で私が感じ取って描く、何かが指し示されていると勘違いしながら、それをひとつひとつかたちにする。その結果として絵もタイトルもできていく。【*2,3】

ー絵を描きながらタイトルも考えているということでしょうか?

常に考えています。そうすることで自分でも気づきがあるんですよね。描くことだけではなくて、「こうか」とか「そういうことか」という。それは私が思い込んで落とし込んでいるとも言えるんですが、わりと明確に気づきが訪れる時があって。そうして最後に言葉、タイトルで蓋をして完成、という感じですね。だから、私の絵の裏にサインがあるんですが、タイトルを筆した時に完成なので、その日付が書かれています。【*4】

  • 【*2】《よいはし》
  • 【*3】《東西一身》
  • 【*4】《あらわれ》裏面

*2

*3

*4

ー展覧会タイトルについても前回は「馴れ初め丁場」、今回は「先見の形骸団子」と変わりましたがその理由は?

前回の会場である旧八木酒造に最初に赴いた時に、場所としてとても印象深かったんですよね。ここで「何か」があったんだということを強く思えて。しかも全体がひとつに向かって動いていた様子が垣間見れたんです。今は目に見えないけれど、そこで働いていた人々の気配みたいなものを感じ取れる要素もたくさんあって。そういったことを示すような建物のつくりだったり、時間を感じたり。私はそこが好きになっていきました。一目惚れじゃなく、じわじわと好きになっていったんです。【*5】


そこで、私なりにその好きになった人とどうやったら仲良くなれるかと考えた時、じゃあ私の仕事(絵)を持ってきて、出来るだけひとつになろうとしたんですね。例えば誰かと誰かがくっついたら、また新しく話ができてきたり人生が始まったり、そんな感じで酒造内に私(絵画)を持ち込むというよりも、酒造と私(絵画)がひとつになって何かを成していけないかと考えて、前のタイトルは決まっていきました。

 

*「すべ と しるべ 2021 #01 田中秀介」映像> ウェブ公開

  • 【*5】すべとしるべ2021 会場になった旧八木酒造 / オーエヤマ・アートサイト

*5

今回の展覧会は「先見の形骸団子」というもので、そうした作品を新しいパルクの展示空間で再構成するとなった時に相当悩んだのですが、八木酒造に向けて制作した絵で、まだ見せていない絵もたくさんあったので、それを使おうと。ただ、それを単純に見せるだけでは白々しいというか、前回の展覧会で一瞬でも結ばれていた状況はもっと大切な時間だったので。


そうなった時に、では「酒造を持ってこよう」と思ったんです。もちろん酒造そのものは持ってこれないんですが、そもそも僕は「酒造場」を好きになったのではなくて、酒造を「人」と例えた時に、その「人となり」というか、しぐさであったり、そういうものを好きになったんです。だから今回は酒造らしさを感じさせる物は極力選択せず、向こうではゴミとして扱われているものもあるけれど、少なからずあの酒造という場所を形成する一員ではあったものを選びました。そういう、外側でありつつも私にとっての核心的な部分を今回かいつまんで持ってこさせていただいて、会場で私の絵とあわせてみようと。

 

それは八木酒造という背景をなくした物たち、いわゆる形骸です。そして、私の変形の絵も言葉通り背景がないものが多いんです。その形骸同士を団子にしていこうと。「先見」というのは、それによって酒造を更新しようとした態度というか。なんにせよ先を見せる。私の絵でもない、酒造の要素でもない、それらによってその先をこの「形骸団子」で展開できればな、ということです。

それと、今回は夏ということがあって、夏にやっぱりこの「形骸団子」というか、そういうタイトルのものをやっておきたいな、というのがありました。夏のせいでもありますね。このタイトルがあがってきたのは。

ー「馴れ初め丁場」の英訳が「Beginning of love」で、人と人との恋愛関係を想像させます。今回はそこから少し関係性がまた変わったのですね。

そんなふうに例えるのがしっくりきているというか。どうしてもあの場所は生々しかったんです。特定の人ではないんですが、誰かの所作みたいなものが見えるんです。きれいにするところはきれいにしてあるのに、あまり気にされていないところは汚れていたりして。それがまたとても魅力的で。そういう意味でも人というものを構成する要素がたくさんあって。そういう意味では生き生きですね。生々しいというより。生き生きとしていたんです。

 

 

 

  • 【*6】「先見の形骸団子|Creating foresight through unity」(2022, Gallery PARC)展示風景

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すべ と しるべ (再)2021-2022「先見の形骸団子」について

ー今回も矩形の絵と変形の絵、どちらも展示していますね。

今回は初め、変形のものと酒造のものだけでと考えていたのですが、それは言い換えると、私の中で「絵」というのは矩形だという限定があったというか。前回の酒造の展示でも「絵ってどういうことやねん」と考えていたにもかかわらず、これ(矩形の絵)を「絵」だから排除しようとしていたんです。「絵だからやりにくい」みたいな。つまり、変形のものは「絵じゃない」というよくわからない思い込みがまだあったんですね。でも自分の中で、これは、全部「絵」なんだけど、あるいは全部「物」なんです。そういう考えに改めて立ち戻ると、矩形だって変形なんですよ。たしかに背景は描かれているけれども、使いようによっては形骸化できるな、という思いがあって、今回もいわゆる矩形の作品と変形の作品を投入させていただきました。

ー「形骸化できる」というのは、言い換えると?

自分の中に抱いている「いわゆる」ってやつです。みなさんももしかしたら抱いているかもしれないけれども、この場合は美術品を扱うギャラリーには作品が置かれている、という通念というか。その通念にハマってしまうと「ここにあるから作品」という眼差しになってしまうので。その目線を少しはずしたかったというのがあります。「人が描いた物」ぐらいで認識を留めたかった。要はそこらへんにある、例えばあの伸びたゴム、【*8】あれも人が使っていた物ってことくらいのもので、なにかそういうレベルに持っていきたかったんです。作品ってどういうことなんだろう?

ー絵のことを「人が描いた物」にしたいとは?

今回においては作品を邪険に扱いたかったというのはあるんですね。それこそ壁に架ける高さを人の目の高さにあわせるとか、中心を何センチにするとか、そういうところから外れてみるというか。よく見たら、パネルも壁じゃないですか。それは一歩間違えればゴミにもなりえるし、じゃあゴミってなんやねんということで、その感覚を軸にしたかったというのはありますね。

  • 【*7】「先見の形骸団子|Creating foresight through unity」(2022, Gallery PARC)展示風景
  • 【*8】《あらわれ》と「伸びたゴム」

*7

*8

「団子団子まみれ」

ー前回と今回で大きく異なるところ、考えが変わったところはありますか?

あんまり変わらなかったのかなと思っています。八木でも酒造内に絵をずらーっと並べる方法もあったんですが、それをやってしまうと酒造を会場とした「田中秀介展」ということになってしまう。それにあまりやりがいを見出せなくて、それなら「一緒になりたい」っていうのがあったので、結果的に作品も極力少なくなっていったというか。なるべくそこにあったかのような状態、馴染んだというか、馴染まされたというか。【*9】つまりひとつの団子状にする。
たとえば街を歩いているじゃないですか。で、なんとなく道端に目をやると植木があって、その横に空き缶が打ち捨てられてて、近くにスズメが止まっていたりして。で、それら全部が要素としてその場面を構成するというのが極めて自然な状態であって。そういうのをわりと目指している。世の中、団子、団子まみれなんですよね。

ー今回の展示では、全体がひとつの団子、というよりは、配置してあるもののひとかたまりごとに団子・団子・団子という感じですか?

そうです。壁面ごとに、団子の味を変えているというか。そこは割と注意しながらやったところで。単純に作品というか絵と呼ばれるものと酒造内にあったものが直接的に関わっていたり、間接的に関わっていたり。その距離感であったりとか。ひとつの場面を作っていたり事態をつくっていたり、状況を説明するひとつの物となっていたりと。そこは割と注意を払った点ではあります。

ー今回は酒造から物を選んで持ってきたわけですが、それらを選ぶ点ではどのような考えが?

それぞれの物を選ぶ時には、絵とどんなふうにつなげようかなど、団子の種類はなんとなく考えていました。厳密にこれとこれというのはなく、大まかに団子の味だけ考えていました。
「場面」という団子とか、「絵を背景とする」団子、とか、そういう具合です。【*10】

  • 【*9】「馴れ初め丁場| Beginning of love」(2021, オーエヤマ・アートサイト)展示風景
  • 【*10】「先見の形骸団子|Creating foresight through unity」(2022, Gallery PARC)展示風景

*9

*10

ー《かいちょう》と「責任」の文章の“団子”について

一番初めに浮かんだプランはこれなんです。かなり前から浮かんでいて。あの「責任」が書かれた時代の空気はあるのですが、あの文章を書いた人、あの文章を見ながら働かれていた人を含めて、何かしらひとつの理想というか、「花」を見ていたんじゃないかと思うんです。
それは今となれば時代錯誤かもしれないけれど、当時の人にとってはひとつの理想であって、そこに私自身も巡っていくというか、作品によって関わっていくというか。作品を背景化させるというのはあんまりあってはいけないこととされているんですが、今回の展示ではそういうことをどんどんやっていこうという意気込みでした。【*11】

ー奥の大きな壁面

この壁は全体的にゆるやかな繋がりというか、絵の中のカタチと外に配された物のカタチであったり、木の節、あかり、スポンジとあれが似ているとか。いわゆる工事できれいにしている感じと掃除道具とか。すごい適当なしりとりみたいなかんじです。【*12】

ー割れたガラスの絵

もともと捨てられてた鏡を私が描いた絵をもう一度捨てようと、ゴミ捨て場みたいな状況に置いてみたものです。【*13】

《こんな人々がここに》
ー酒造での展示以降に描いたものはありますか?

酒造には40点の絵を持ち込んで展示したのは20点。今回はそのうち10点ほどを未陳の作品と入れ替えて展示していますが、唯一《こんな人々がここに》だけは、酒造での展示を終えてすぐに描いたもので、今回の展覧会をやることも考えずに、その時、描きたいから描いたんです。

これはずっと自分に問いながらやっていることなんですけど、『あなたね。専門学校入った、大学入ったって、その前から描くの好きやったやん。ずっと落書きとかを紙の端っこに描いて友達に渡したりして、誰ひとり登校してきてない早朝に学校行って、黒板にばーっとようわからんもの描いて驚かすとかばっかり。そういう学校出たからって、こういう業界に入ったからって、とにかく描くのが好きで、だったら描かなきゃどうなのよ』とずっと思っているんです。もちろんいろんな理由や責任で描くこともありますが、やっぱり絵を発動していく軸はそこじゃないと元も子もないと。【*14】

  • 【*11-14】すべ と しるべ(再)2021-2022「先見の形骸団子|Creating foresight through unity」(2022, Gallery PARC)展示風景

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