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Review
「坂口佳奈・二木詩織:キャンプができたらいいな。」展覧会評Exhibition Info

Gallery PARC Art Competition 2019

「坂口佳奈・二木詩織:キャンプができたらいいな。」展示風景

《キャンプができたらいいな。》についてのノート

平田剛志(美術批評 / Gallery PARC Art Competition 2019 審査員)

「この世には名づけられていないものがたくさんある。そしてまた、名づけられてはいても説明されたことのないものがたくさんある。そのひとつの例が、その道のひとびとのあいだでは《キャンプ》という名で通用している感覚である。」
スーザン・ソンタグ「《キャンプ》についてのノート」『反解釈』高橋康也・出淵博・由良君美・海老根宏・河村錠一郎・喜志哲雄訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1996年、p.431

 


 住むことと旅行では、思考や感覚が異なる。日常とは異なる旅の時間と場所のなかで旅行者には何が起きているのか。旅の経験から得た新しい感覚や発見を提示するのがGallery PARC Art Competition2019に採択された坂口佳奈、二木詩織の「キャンプができたらいいな。」だ。
 東京在住の二人は、東京から約450キロ離れた京都までの移動の経験を展覧会と作品プランに組み込んだ。交通機関が発達した現代、京都に向かう手段は一つではない。二人は新幹線や高速バス、車、徒歩などさまざまな方法で何度も旅をし、道中で撮影した写真、収集物、SNSに書きとどめた「道中記」を、Gallery PARCの4階と屋上にインスタレーションした。

 

 旅は、つがいになった鳩の置物から始まる。壁面には、各地で撮られたスナップ写真が並び、傍らに「富士を見て、ぞっとする/5月28日 14:47」など犬やビワ、体調不良のエピソードが日時とともに書かれたテキストが添えられる。会場中央には、旅の行程を示すマスキングテープによる地図、テーブル上にはソフトクリームや飛び出し坊やなどモチーフ別にまとめられた写真群、旅のエピソードにもとづく映像作品や絵画などが並ぶ。屋上に上がると、夏らしいプールやテントが置かれ、倉庫内には信州のキャンプで経験した釣った魚を捌く映像とテキストによって、キャンプの記録が明らかとなる。
 展覧会は、たくさんの断片的なものと写真、テキストに溢れている。SNS上の断片的なツイートや投稿が視覚化したようだ。だが、支離滅裂な展示ではない。展覧会のコンセプトが「旅・距離・時間」を掲げるように、旅の道中に発生した距離と時間がラップのように韻を踏み、連想をつなげていく構成になっているからだ。
 道中記のテキストを見ると、「富士(山)を見て、ぞっとする」「電話する/時計が鳴る/アラームが鳴る/鐘を鳴らす」「起きる/二木も起きている」などの行為が繰り返す。一方、モチーフでは、きな粉、びわの木、アップルパイ、石、鳩(チキン)、親知らずと歯ブラシなどが展示空間に連鎖していく。本展を旅する旅行者(鑑賞者)は、坂口と二木の行き当たりばったりの旅のように、道中で経験した偶然の発見や思いつきを経験するのだ。

 

 こうした作品構成は、二人の関係性と作風に依るところが大きい。二人はともに2019年に武蔵野美術大学造形研究科修士課程美術専攻油絵コースを修了した同級生だが、学生時代に付き合いはなく、卒業後に本企画のために話をするようになったという。二人を結びつけたのは、「距離と時間」だ。
 坂口はキュビスムのように空間のずれや絵具の重なりによって、空間や時間をコラージュした絵画《重なり合う時間について》や写真《room of collage》などを制作してきた。
 二木は、体験を切り取り、編集することをテーマに静岡県沼津市に旅行に行った際に歩いた軌跡を思い出しながら地図に記した《地図を書く #1》(2017)、《あのおじさんの代わりに私が駅で野菜を食べる》(2014)などの映像やパフォーマンスなどを制作・発表してきた。
 二人は、時間や空間、経験や他者の重なりやズレを視覚化するコンセプトが共通している。その二人が出会い、ともに旅をしたとき、何が生まれるのか。仲良しの女子旅とは異なるキャンプの繰り返しから、生活と制作、日常と非日常、ドキュメントとフィクションの境界が重なり、ズレを生み出したのが本展なのだ。

 

 美術では旅や移動はよくモチーフとされる。古くはリチャード・ロング、ハミッシュ・フルトン、ザ・プレイ、近年では谷本研と中村裕太の「タイルとホコラとツーリズム」まで、移動や歩行を写真や地図、テキスト、アーカイブした作品/プロジェクトが挙げられる。
 だが、坂口・二木が異なるのは、SNSなど現代的なコミュニケーションツールを記録に活用しながらも、記録性を重視していない創造性にある。制作された作品には旅行後に制作された作品も多く、フィクションも含まれている。旅の経験を着想とした展覧会へと昇華されている点に、「アーカイブの病」に侵されない旅の自由な精神があった。
 二人旅を経て、坂口と二木の二人の「距離」も縮まっただろうか。旅の本当の意味とは、場を介して人を知るコミュニケーションという感覚なのかもしれない。

また、キャンプができたらいいな。