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Review
「平野泰子:呼びかけられる」展覧会評Exhibition Info

Gallery PARC Art Competition 2018

「平野泰子:呼びかけられる」展示風景

Twilight Zone

平田剛志(美術批評 / Gallery PARC Art Competition 2018 審査員)

 雲がかったような灰白色や濃緑色の茫洋としたイメージが広がる。平野泰子の絵画は、グレースケールを基調とした画面で、視線を向ける図像はない抽象絵画だ。だが、画面全体に視線を泳がせると、下層から浮かび上がる色の階調が鑑賞者を情調や記憶の想起、思索へと衝き動かす。平野の絵画は、下地を施したキャンバスに三原色を画面全体に何層も塗り重ねることで作られるが、その鏡面のような深遠な色層は、絵画の前に観者を呼び寄せる磁力を有している。

 

 色彩のみによる抽象絵画といえば、1950年代末から60年代ごろのアメリカでおこったカラーフィールド・ペインティングと呼ばれる絵画動向が想起されるだろう。バーネット・ニューマンやマーク・ロスコ、モーリス・ルイスなどの作品に見られるように、色彩(カラー)が「場(フィールド)」にオールオーバーに広がる平面的な絵画だ。
 だが、もともとこの言葉は、バーネット・ニューマンが大画面絵画を通じて観客を包み込むような「場所」を志向していたことに対して、美術評論家クレメント・グリーンバーグが用いたことに由来する。つまり、カラーフィールド・ペインティングとは、絵画の画面に占める色面のことだけを指すのではなく、絵画が展示される場所や空間、鑑賞者との関係性が念頭に置かれていたのだ。わが国の絵画とは異なり、カラーフィールド・ペインティングほど、鑑賞者を前提としている絵画もない。

 

 以上の点を踏まえれば、平野の絵画はカラーフィールド・ペインティングの平面性と空間性を継承している現代では稀有な作家であることがわかる。本展では、3フロア19点の作品が並び、シンプルながら絵画と空間が共鳴する場が生まれた。2階では、「Twilight」シリーズを中心に展示がなされ、鑑賞者は黄昏時の薄光のような色彩を徐々に認知していく。
 3階でのドローイングの展示をはさみ、続く4階では2階の展示作品であるトワイライトな色面に大胆な筆触の介入が行われた《 pointing 1802 》【 17 】など、絵具の物質性や画家の身体性を残した絵画が並ぶ。2階の展示作品と比較すると、静謐な海面を乱すような行為にもみえる。だが、4階の作品では触知的な筆触を介入することにより、深層と表面、遠近、絵具と身体の関係性を揺さぶる運動として、新たなフィールドが開拓されている。

 

 マーク・ロスコは書く。「絵画においては、キャンバスの中へ向かう運動の感覚とキャンバスの表面の手前にある空間から外へ向かう運動の感覚の両方によって造型性が獲得されている。芸術家は鑑賞者を、まさにキャンバスという領域の中の旅へと誘うのである。鑑賞者は芸術家の作り出す形とともに、内へ外へ、下へ上へ、斜めに、水平に動き回らねばならない。」 【註1】
つまり、絵画とは、その制作も鑑賞も空間をフィールドワークすることなのだ。平野の絵画は、色彩や筆触、テクスチャーという運動に満ちている。このフィールドには、図像の意味や解釈などは役に立たず、宵闇のなかを手探りで進むことになるだろう。その「旅」は画面内だけでなく、会場を上へ下へ、右へ左へと動き回らなければならない。その時、雲の隙間から光射すような絵画が眼の前に広がる。

 


【註1】 マーク・ロスコ著、クリストファー・ロスコ編『ロスコ 芸術家のリアリティ―美術論集―』中林和雄訳、みすず書房、2009年、77頁。