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Exhibition info

山岡敏明

Yamaoka Toshiaki

「そういうおまえをワシゃ喰った」。

“I have eaten such you.”

2024.7.27. ~ 8.18.
水・木休廊

10 images

Statement

展覧会によせて

 

「そういうおまえをワシゃ喰った」
これは昔、私が小学生の時に図書室で読んだ小噺のさげの一言です。この和尚はただのまぜっ返しジジイとも取れますが、私には人の思念がもつ壮大さと肉体の物質的な矮小さを同時に言い得た哲学的示唆のように感じたものでした。
「人間死ねば糞袋」とも言います。そういった死生観、“人類は小さな球の上で”、”空気の底”にへばりついて、宇宙138億年の一刹那だけ現れて消えるだけの存在でしかないという中二病的世界観が、私の制作の根底に脈づいていることは否めません。
小噺では、無限の「概念」で無双を誇った男が「肉の塊」として和尚に喰われてしまうというオチになっていますが、それさえも和尚の"ホラ話"でしかなく、そしてさらに、それ自体が創作された"小噺"であるという、入れ子のような三段オチになっているのがなんとも粋に感じます。
ウワガキシリーズは、他人の展覧会DMや名画のポストカードなどに直接加筆して「グチック」に描き変えてしまうという非道なまぜっ返しの手法によってできた作品郡です。ポストカードに元々描かれていた作品は、鑑賞者としての私にとってはリスペクトであり、作品自体が素晴らしく、個人的に大好きなものもあります。しかし同時に、ウワガキを施す私にとってはただのグチックの一部、肉の断片にしか見えていません。もとに何が描かれてあったのか、何を語ろうとしていたのか、意匠に込められた諸々の思念や主張は無効化され、ただの"絵に描いた餅"であるという事実が、絵具を載せることで容易に描き変えられてしまうというプラグマティックなオチに収束します。そしてさらには、描かれた「グチック」自体、所詮支持体にへばりついた絵具でしかなく、"絵に描いた餅"=イメージでしかありません。しかしそのイメージが、観る者をちょっと気恥ずかしくさせたり、妙な背徳感を伴いつつ視線を釘付けにしてしまう、憎らしくて愛おしいラスボスの本体でもあります。
今回出品の名画ウワガキシリーズでは、いよいよ元になる名画の「実寸模写」に手を出してしまいました。今まで散々、人が丹精込めて描いた絵を(印刷の上とはいえ)弄んできたツケが回ってきたようにも思います。過去の巨匠たちが描いてきた名画を寸分まで凝視して模写をすることは、描画スキルにおいて勉強になったものの、とにかく面倒な作業でした。そうして苦労して描いた立派な人物画を自分の手で潰して描きかえてしまうのはたしかに勿体ないものでしたが、その背徳感とスリルはどこか病みつきになる毒饅頭のごときものでもありました。加えて永年ウワガキ加害者だった私は、今回半分だけウワガキ被害者の側にも立ったことで、勝手に禊を済ませたような気分になっています。
次の制作のことを考えると、もう本物の作品そのものにウワガキしてしまうという手段しか残されていないような気がしてきて、ハッと我に返り、踏みとどまっている現状があります(というのは嘘です)。
今回の展示では、そのウワガキの集大成に加え、本来の代表的シリーズ、線のドローイング映像作品Unlimited Drawingと、描き変わっていくカタチを合成加筆して現れてきたchimeraドローイング(初出)も出品します。
どちらのシリーズも、描く行為と描かれたイメージが入れ子に反転しながら見えてきますが、そんなことは横において、それぞれの画面に現れてきた「グチック」が放つ、切実で珍奇なリアリティを楽しんでもらえたらと思っています。

山岡敏明

About

2011年の「GUTIC STUDY」、2013 年の「GUTIC MERISTEM」、2017の「GUTIC:i was born」以来、ギャラリー・パルクでは4度目の 個展となる山岡敏明の個展「そういうおまえをワシゃ喰った:I have eaten such you.」を開催します。

 

山岡敏明(やまおか・としあき/大阪・1972~)は、2003年より現在まで一貫して「GUTIC STUDY(グチック考)」とする制作・発表に取り組んでいます。山岡は「世界の現実とは、今この瞬間において、すべての『別の状態であった可能性』を排除した唯一の 事実であるとともに、無数の可能性のうちの一つの結果にすぎない」として、この思考から「形象=フォルム」の可能性に着目し、 平面上に「ありえたかもしれないカタチの可能性を探す」ための思索と行為を展開させています。「GUTIC(グチック)」とは山岡 によって描き出された「ありそうながらも何であるとは判じ難い、ある種の形象やフォルム」に対する呼称として作家が創作した 造語です。
この「GUTIC」への探究・模索はこれまでキャンバス、ユポ紙、錯視、立体造形や映像などの様々な支持体・方法によって表出され てきましたが、中でも特徴的なものとして「ウワガキシリーズ」と呼ばれる一群があります。これは身近な展覧会DMやチラシ、名 画のポストカードなどに掲載されている他人の作品画像に山岡が直接加筆することで、そこにGUTIC(フォルム)を見出すものであり、他者(の表現)において完成(とされる)イメージを出発点に、そこに山岡が勝手にGUTICを発見し、描き出したものです。
本展に出品される(山岡によってウワガキされ、グチックと呼ばれてしまう)作品の出発点となるのは、過去の西洋絵画の巨匠た ちが描いてきた人物画になります。ルネサンス期の巨匠アルブレヒト・デューラーが1526年に完成させたとされる《四人の使徒》、 1647~51年頃にディエゴ・ベラスケスによって描かれた《鏡のヴィーナス》、フランス新古典主義の画家ドミニク・アングルが1820 年からおよそ30年をかけて描いた《泉》、ギュスターヴ・クールベが1843~45年に描いた《絶望》、エドゥアール・マネによる《オラ ンピア》など、その多くは「名画」とされ、いわば「これ以上加筆する余地のない完成形」とも呼べるものたちです。
本展に先駆けて山岡は、まずこれら名画を「実寸模写」することから始めました。実物と同サイズのカンバスに構図や筆致を緻 密に、忠実に模写していく作業は、長い時間と大変な苦労の積み重ねに値するクオリティを持つものとなりました。そして、次に 山岡はこれらの名画の中にグチックを探し、いつものようにグチックを描きはじめました。
本展タイトル「そういうおまえをワシゃ喰った:I have eaten such you.」は、いわば「完成形」とも呼べる巨匠の名画の数々に対 し、山岡が「いやいや、そんな名画にはまだまだGUTIC(カタチの可能性)が」とのたまってウワガキをしていく様を名付けたものであるとともに、「壮大な自作自演」に没頭するヨッパライの独り言と聞こえるかもしれません。
しかし、山岡によって導き現れてきたGUTICは、それぞれが特異でありながらも必然的なカタチをともなうもので、そのフォルム からは個性すらも感じるほどにあたりまえに「存在」していると感じさせます。
本展ではこの「ウワガキシリーズ」の最新作にして集大成とも呼べる作品およそ10点とともに、線のドローイングによる映像作品《Unlimited Drawing》と、描き変わっていくカタチを合成加筆して現れてきた《chimeraドローイング》も初展示いたします。 皆様には目の前にいるGUTICを起点に、さらに「ありえたかもしれないカタチ」を妄想したり、想像したりして、楽しんでいただければ幸いです。

 

作家情報について詳細はこちらよりご覧ください。 >Artist info