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Exhibition info

ふて寝に晴天、平常の炸裂。
田中 秀介

2017.3.31. 〜 4.16.

Exhibition View

13 images

Statement

私はとある家庭に生まれ、気がつけば意識があり、たちまち外部の膨大な影響を否応なく受け、結果言わば出自のはっきりしない自覚、というものを明確に認識している状態である。しかし、外部からの影響もそれに伴った自覚も無限に続く訳でも無く、意識の消滅と共に歯止めが掛かる事は、何となく知っている。そうなると逆算的に考えてもあらゆる事物、それらとの接触も有限である事に気づく。ならば自覚の出自を探ろうと外部を見渡す。咄嗟に焦点を合わせれば、誰かがデザインした流線型の照明器具、途方も無い空と奇態な雲、積年の石、偉人の親戚、蜂蜜の流動、打ち捨てられたスウェット等、それらはけたたましく、かつ淡々と代謝の如く立ち代わり存在している 。すなわちこれら当然が身辺を満たし、また自身もそれに埋没している事に気づく。私の描き出す発端はこの当然を紐解き検証する事から生じる。


田中 秀介

About

 田中秀介(たなか・しゅうすけ/1986年・和歌山生まれ)は、2009年に大阪芸術大学美術学科油画コースを卒業後、大阪・京都などで個展やグループ展を重ね、2016年にはトーキョーワンダーサイト渋谷にて個展『円転の節』を開催。また、2014年に「シェル美術賞」・「トーキョーワンダーウォール2014」・「FACE2015 損保ジャパン日本興亜美術賞」入選、2015年に「 Tokyo wonder seeds 2015」入選、2016年の「トーキョーワンダーウォール2016」ではトーキョーワンダーウォール賞を受賞するなど、その評価は着実に高まっています。

 

 くたびれたスーツの男がトラックの荷台に肘をつく《空っぽの突っぱり》。日中の道路工事現場の作業風景《道作り》。夜半にダウンを着込んだ女性が自転車に乗る《インフラストラクチャー》。あるいは、壁に貼り付けられたビニール袋、闇夜の電柱、電球とデコポン。

 

 絵を描くにあたり田中は、身の回りにあるこうした他愛のない事物を材にします。しかし、絵に描く理由が特に無さそうな、この「ありふれた風景の絵」を目にするうち、鑑賞者はどこか言い知れぬ違和感を覚えはじめます。そして、その違和感の理由を求めて画面に目を凝らした時、そこに絵画上の様々な要素(明快な色彩と細やかな色調、面描と線描、刷毛目に任せた大きなストロークと筆先によって与えられた緻密なテクスチャ、西洋・東洋の描画テクニックの拝借など)を発見することができます。また、ともすれば画面上に矛盾や破綻を生じさせるかもしれないこうした要素が、絵として「ありふれた風景」を成り立たせていることは、それらが田中によって入念に選択され、調整されたものであることを感じさせます。では、そこにあるはずの田中の意図を知ろうと、それぞれの事物の意味や関係性を目と想像で追いかける時、目の前にはやはり「ありふれた風景の絵」しか存在しない。そしていつまでも残る(少しだけ更新された)違和感。

 

 田中の作品は、その主題・意味・目的・技法などにおいて「絵であること」の理由(正しさ)を不在にしたまま、「絵であること」の切実さを強く感じさせます。言い換えるなら田中は、「絵が絵以外の何かになることを周到に抑制する」かのように絵を仕立てていると言えます。そして、そのことが鑑賞者に認識の検証と更新、記憶や想像による物語の想起と放棄、主観の投影などを求め続け、決して腑に落ちることのない鑑賞を促し続けるのではないでしょうか。

 

 新作となる絵画およそ10点を中心に構成される本展において、その作品の魅力(違和感)を存分にお楽しみいただくとともに、私たちの暮らしの中に溢れる「当たり前さ」への認識を疑い、更新し、時に戯れることを促す機会となれば幸いです。