1995年に東京造形大学を卒業した山岡敏明(やまおか・としあき/大阪・1972~)は、2003年より「GUTICSTUDY(グチック考)」とする制作・発表に取り組んでいます。「世界の現実とは、今この瞬間において、すべての『別の状態であった可能性』を排除した唯一の事実であると共に、無数の可能性からこぼれ落ちなかっただけの、一つの結果にすぎない」とする山岡は、「形象-フォルム」に着目し、「あったかもしれない可能性」としての「カタチを探す」思索と行為をおもに平面上に展開しています。「GUTIC(グチック)」とは山岡によって描き出された、ありそうながらも何であるとは判じ難い、ある種の形象やフォルムに関して、作家自身が名付けた仮の呼称です。
今回の展覧会タイトルは、詩人・吉野弘(1926 - 2014)による詩「I was born」からとられています。この有名な詩の中で、英語を習ったばかりの少年である「僕」は、妊娠した女性とすれ違い、ふと「<生まれる>(=I was born)ということがまさしく<受身>である訳を諒解」します。一緒にいた父にその発見を告げると、父は訥々と、2~3日で死んでしまう蜉蝣(かげろう)の話をしたあとに、「僕」の母が僕の出生後間もなく死んだことを告げます。父の話は「僕」に、口すら退化し、胸の方まで卵にふさがれた雌の蜉蝣と、「母」を重ねた、強烈なイメージを思い描かせます。
山岡によるGUTICは、近年、生物の器官のような有機的な輪郭・質感をもった、独特の「カタチ」を画面上にあらわしています。この「GUTIC」は、世に生まれ出ることのなかった『もうひとつの現実』としての形象であり、その結果を導いたのは偶然的で「不条理な」出来事や選択の累積によるものではないかと彼は考えます。彼の言葉の裏を返せば、私たちが現実世界で目にしているあらゆる形象、あるいは私たちの身体そのものが、ある種の「不条理さ」の連続と累積の上にかろうじて成り立っているものとも言えるでしょう。
すべての生物は、なぜそのような形態で生まれなければならなかったのか、という不条理を生まれながらに引き受けた状態として、いわば「生まれさせられた(was born)」ものであるとも言えるかもしれません。山岡によって生み出された形体=あったかもしれない「もうひとつの現実」の姿を通して、私たちが目にしている「たったひとつの現実」の揺らぎを目撃する時間となれば幸いです。