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Exhibition info

絵画へ捧げる引力

薬師川 千晴

Yakushigawa Chiharu

2015.10.20. ~ 11.1.

Exhibition View

11 images

Statement

 あらゆるものから質量が失われつつあるこの世界で、今、絵画を通して、質量ある物質特有の〝引力〟という力について考えてみる。
 そもそも引力とは、空間的に相まった物質が互いに引き合う力のことである。どんな物質も質量さえあれば、互いに力を伝え合い、引き合う力を元来そなえている。
 では、絵画においての引力とは何だろう。
当たり前のことかもしれないが、絵画とは絵具と絵具が引き合い、隣同士の色とが交わる連鎖により成り立っている。この意味において、絵画とは絵具と絵具の引力によって成り立っているといえるのではないだろうか。
 その絵具の引力をより純粋に引き出すために、描画技法としてデカルコマニー技法を用いる。デカルコマニーとは、フランス語で写し絵・転写画を意味し、紙に絵具を塗りつけ、それを二つ折りにしたり別の紙に押し付けることで、塗りつけられた絵具を転写し、左右対称の図を描く絵画技法のことである。
 この技法を用いることにより、重ね合わされた絵具、つまり、一度ひとつの塊となった絵具を引き剥がし、ふたつに分かれさせることで、絵具の持つ互いに引き合う力を絵画により強く生じさせることが出来る。
 そうして出来た作品は、人が祈る時に合わせる手に、どこか似ている。
そもそも、人はなぜ祈る際、手を合わせるのだろう。思うに、手を合わせる事により、人は〝何も持てなくなる〟事が重要なのではないだろうか。それはつまり、何かを抱える手段である手を天へ差し出し、物質世界とは離れた位置から〝祈り〟という非物質的な行為へと移行する、ある種の儀式のようなものなのだろう。
 そして、ひとつに合わさった手をひらくと、そこには右手と左手が現れる。つなぎ合う力を〝両者〟に分かれさせることで、双方の関係が生じ、そこには、ものとものとの間に生じる引力が生まれる。つまり、引力とは物質単体では存在し得ない、ものとものとの関係性にのみ生じる〝互い〟の力なのだろう。
 私は、この質量ある物質にそなわる互いに求め合う引力を作品に託す。そして、この絵具の紡ぐかすかな引力を絵画へと捧げようと思う。

2015年9月23日
薬師川千晴

About

 2011年に京都精華大学洋画コース卒業、2013年に同大学大学院芸術研究科博士前期課程芸術専攻を修了した薬師川千晴(やくしがわ・ちはる/1989年・滋賀県生まれ)は、在学中よりグループ展などに出品を重ねるとともに、2014年に初個展となる『絵画碑』(ギャラリー・パルク)を開催、2015年には『ハイパートニック・エイジ』(京都芸術センター)に出品するなど、着実にその活動を展開させています。

 薬師川はこれまで、多くはテンペラ絵具を用い、紙に絵具を置いてそれを二つ折りにして転写し、対称の図を創出するデカルコマニー技法をもって絵画制作に取り組んでいます。絵画に向かう薬師川の思考にはまず「あらゆるものから質量が失われつつあるこの世界」への危機感があると言い、そこから絵画を作家の「表現」とするのではなく、作家が絵画を「通して」思考し、そこにどのような質量(何か)を「託す」のかという自問を抱いています。作品《 絵画碑 》では、まず絵画に「時間を託す」として、かつて “何か” であったものの集積である「土」によるテンペラ絵具とデカルコマニー技法により、画面上に現在までの “歴史” という時間を堆積させ、絵画をまるで「時の碑」とするかのような取り組みを見せています。
 同時に「絵画とは絵具と絵具が引き合い、隣同士の色とが交わる連鎖により成り立っている。この意味において、絵画とは絵具と絵具の引力によって成り立っているといえるのではないだろうか。」とする視点から、「この質量ある物質にそなわる互いに求め合う引力を作品に託す。」と思考を進め、時間の集積である絵具の塊をデカルコマニーにより再び分つことで、互いに引き合う微かな「引力」を画面上に生じさせようと試みます。

 本展『絵画へ捧げる引力』は、こうした薬師川の願いを込めた一連の作品《 絵具の引力 》を中心に構成しています。個々の作品上に見られる動きには、かつてひとつであった物質が引き合うベクトルを見ることができるとともに、ここに過去・現在・未来へとうつる時間を垣間見ることができます。また、そのシンメトリックなフォルムには、私たち「人」の面影、あるいは願い・祈る時に「合わせる手」にも似た姿をも垣間見ることができ、ここには物質世界と非物質的世界の狭間の様相を目にすることができるのではないでしょうか。