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Exhibition info

GUTIC STUDY @ Gallery PARC
山岡 敏明

Yamaoka Toshiaki

2011.1.11. 〜 1.23.

Exhibition View

8 images

Statement

[グチック考]


私は大学在学中より、いわゆる絵画的要素の一つである情緒的な色彩の駆け引きよりも、「形象」に着目し、それらによって導かれる、ある種の道理を探すようなものとして制作を位置づけてきました。例えば我々の身体が皆似たようなスケールとバランスで頭と胴体と四肢に構成され、5本の指があること、あるいは大陸の地形が、凹凸の1つまで緻密に定まっていること、またあるいは過去の全ての出来事が変えようのない事実で累積し、常に結果としての現在へと繋がっていること、その他のあらゆることが、「他であったかもしれない可能性」を排除したうえで、我々の意思や希望に関わらずドラスティックに決定され、存在しているという事実。
そのような、普遍的形象を暴き出す手段として紙へのドローイングを重ねていたあるとき、一枚の枠内に収まりきれず描かれたカタチが、枠の外にある何か大きなものの一部分であるかのように見え、そこから続きの形を追いかけて、支持体となる紙を継ぎ足していくスタイルが生まれました。
そうして、発掘作業のような描画の果てに出現した"それ"は、絵画空間に描かれた完全なイリュージョンとも、平らな物体ともつかぬ、まったく別の空間にある巨大な量塊の、紙の上に投じられた影法師のような存在に見て取れました。
また"それ"は、ある種の偏りをもつ形の繰り返しが、ほぼ明確な輪郭を成していることに加えて、シルエットの内側は黒く抜けており、無限の不確定要素を孕んでいること、全体の像ではなく、常に断片的な部分のみが表れていることからも、即ち我々が認識している"この世界"の有り様、またはその関係性を、そのままに具現化しているもののように思われました。
「グチック」とは友人が私の作品をさして言った造語で、その音がもつ印象(音象徴)が、描かれるカタチの特性と合致しているように思われるところから、既成の単語を当てはめるのではなく仮にそう呼ぶこととしています。
グチックが、実在しない虚の量塊であること、それが二次元の描画によって発露してきたことなどから、グチック考におけるいずれの展示においても直に目視できる立体像を展示するということはなく、観者の認識世界に巨大な立体が立ち上がることを目論んでいます。
さらには、ギャラリーの周囲や市街に出現するグチックのイメージを、写真や会場平面図に直接描き込んだデジタルプリントやドローイングとして併置し、会場内に突き出た断片と、外側に広がる巨大な存在が複合的に認識されるような表現を試みています。
実空間にモチーフを立体造形したものが、再現された模造品であるのに対し、錯視により見えない部分を補って出現するイメージや絵画空間におけるそれは、観者の認識世界で物理的な制約をうけず、あるいは無限のボリュームも想定可能な虚の存在として、逆説的にリアリティを獲得するのではないかと考えられます。

山岡敏明

About

 山岡敏明によって「GUTIC(グチック)」と名付けられた「普段は目にする事は出来ないが確かに実在する」という謎の量塊についての思考ともいえるその制作は、‘92年にドローイング作品として始まり、‘03年以降にはインスタレーション作品へと変化しながら、これまでにギャラリーや屋外空間に出現するなどの展開を見せています。

 今回は、ギャラリー・パルクの会場にあわせた「GUTIC」シリーズの新作インスタレーションを中心に、ドローイング作品などをあわせてご覧いただけます。
 山岡と「GUTIC」がつくりだす虚構と現実が共存するユニークな空間は、私たちの視覚や認識を揺さぶり、「真実」や「世界」が含み持つ「あいまいさ」に気づかせます。また、そこでは、見ること・感じることとともに、「思考」することや「想像」することの楽しさをも再認識することが出来るのではないでしょうか。

Introduction

2011、新年早々──
謎の黒い塊が京都の街をジャックする。
GUTIC(グチック)とは、作家・山岡敏明の手による不思議な存在。
壁を貫き、隙間から迫り出すものの、“ごく一部分”を目撃するのみで、巨大な全貌を掴みきることはできない。
「それは、世界の我々との関係性に似ている」と山岡は言う。
今回は、ビルの傍らに立つGUTICがギャラリー内部に露出する。
“見えない”断片をその目で捉え、
壁の向こうの巨大な存在に思いを巡らせていただきたい。

本展コーディネート

奥田真希