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Review
「むらたちひろ:時を泳ぐ人」展覧会評Exhibition Info

Gallery PARC Art Competition 2014

「むらたちひろ:時を泳ぐ人」展示風景

淡々と飄々と

山本麻友美(京都芸術センター チーフ・プログラム・ディレクター / Gallery PARC Art Competition 2014 審査員)

今流行の歌ではないけれど、「ありのまま」で生きていくためには、薄っぺらな開き直りではどうしようもなくて、本当に厳しい強さが必要だと思う。むらたちひろの作品の印象は、自然体であるけれどそのような強度を持っているのではないかと予感させるものだった。
今回展示されている作品はどれも、日常から切り取られたモチーフ、構成も色合いも、すんなりと見る人に馴染む。夢なのか現実なのかは判然としないけれど、その世界観に大きな違和感はない。ほんの少しだけ狂気を漂わせる場合もあるが、それはすぐに消えてしまう。

「現実のなかにまじっている夢や潜在意識の存在を受け入れれば、『時を泳ぐ』こともごく当たり前に」できると、彼女は言う。作品を見るまで、「時を泳ぐ」という言葉に対してゆったりと流れに逆らわずに、といった幾分牧歌的なイメージを持っていた。でも本当は、溺れそうな時に如何にサバイブするか、といった危機的な状況を指しているのではないか。私たちは溺れそうなのかもしれない。少なくとも彼女は溺れそうになったことがあるのだろう。

テキスタイルというメディアは、支持体として可変であることから、実はとても自由度が高い。だからこそ、美術作品として扱われる場合には、さまざまな困難や誤解が付きまとう。むらたが、自分の表現としてテキスタイルおよび染色を選んだことは、ある種の必然であると言える。一旦染めたものを、再び水によって滲ませるという技法は、すべてが揺らめいて、確かなものは何もないと言っているようだ。また、ロウケツ染めの上に型染めを重ねるといったことからも、自分の中で何かバランスを取ろうとしていることがうかがえる。
ただし、彼女の作品には、まだ開かれていない可能性の余地があるように思う。今回の展覧会で平面、カーテンやインスタレーション等の形態を取り入れたことは、よい経験になったのではないだろうか。

むらたちひろは、すべてが、淡々と飄々としている。人は、自分と世界との関係においてバランスを取ろうとする時に、立ち向かう、あきらめる、寄り添う、受け入れる等のさまざまな態度に出る。むらたは、きっとすんなりと受け入れるための努力をしてきたのだろう。そうでなければ乗り越えられないようなものに直面して。熱く訴えかけてくるものはないが、作品が静かに強くそう言っているように聞こえた。