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Review
「松本絢子・山城優摩展|企画 森川穣:
A Sense of Mapping ‒私の世界の測り方‒」展覧会評
Exhibition Info

Gallery PARC Art Competition 2014

「松本絢子・山城優摩展|企画:森川穣:A Sense of Mapping ‒私の世界の測り方‒」展示風景

A SENSE OF PAINTING

平田剛志(美術批評 / Gallery PARC Art Competition 2014 審査員)

 たとえば、口頭で行き先を伝えるとき、人はどのように伝えるだろうか。目印となる建物や施設名を伝えたり、あるいは番地や東西南北、現在地から何メートル、何分などと距離や時間で伝える人もいるかもしれない。京都市内であれば、上ル・下ルなどと京都市内の地図に即した表現も可能だろう。
 このナビゲーションの多様さは、個々人の地図感覚に由来すると言えるだろう。地図は科学的、客観的な情報によって成立する情報メディアだが、地図感覚は個々人の表現や主観によって成り立つ地図だからである。地図感覚は、内臓感覚、皮膚感覚、平行感覚などといった言葉のように、(生理学的、医学的に定義された感覚ではないが)個々人の空間や移動に対する時空間認識の違いによって生じる地図なのである。

 

 アーティスト・森川穣キュレーションによる「A SENSE OF MAPPING‒私の世界の測り方-」は、このような「地図感覚」をテーマに、地図の絵画性、絵画の地図性を視覚化した展覧会であった。出品作家は、松本絢子、山城優摩の2名である。
 松本のlocationシリーズは、都市風景を墨で淡く、薄く描いた絵画である。描かれる風景は現実の場所を取材したものだが、中央部に消失点をもち、人影のない都市の風景は白昼夢のような世界を現出させている。だが、松本の絵画は慎重に丁寧に風景が描き込まれているにもかかわらず、「風景画」と定義するには違和感がある。地図を見ているのに、自分の現在地が確認できないときのように、描かれた風景は現実感が希薄なのである。また、《http://goo.gl/maps/~》シリーズは、現実の光景を油彩で描いた作品である。タイトルはグーグルマップのURLであり、実際にブラウザに入力すれば現実の特定の場所が表示される。木々や池など、これといった場所を描いたと見えない絵画だが、インターネット上の「住所」であるURLが付されることで、描かれた「風景」が特定の視点から見られたものであるという事実を指し示すのである。だが、松本の絵画は再現性や場所との一致を目的としたものではない。松本が試みるのは、地名やURLが指示する記号化、管理化された風景ではなく、自身の地図感覚・知覚によって絵画を描く風景論と言えるかもしれない。

 

 一方、山城優摩の作品《Sonar》は、半立体による平面作品である。シェイプト・キャンバスによる不定型な形態は、色で塗り分けられた世界地図の一部分のように見える。さらに、画面上には多様な色面が混じり合い、そこにペインタリーな筆触やアクリル板、プラスチックなどが付加されることで、さながらジオラマや立体地図のような感覚を与える。キャンバス上にさまざまな素材が組み合わされた高低差のある半立体の「物体」は、世界最古の地図である古代バビロニアの粘土板片の地図を思わせる。ただし注意したいのは、山城作品は松本の絵画とは異なり、現実には存在しない光景であり、そもそも「地図」を前提に制作されているわけではないということである。山城の作品は、「地図のように見える」という地図感覚に媒介にして、鑑賞者に絵画と地図、平面と立体の領域・識別を混乱させるのだ。さらに、一般的に流通するキャンバスサイズを踏襲せず、パネルの形態から絵画の在り方を探ることは、Sonar【註1】の音波ならぬ身体の「地図感覚」によって絵画の未知の大陸(terra incognita)を探査する試みと言えるだろうか。

 

 展覧会は2週間の会期中、1週目と2週目で展示形式が異なったが、地図感覚が視覚化された展示となった。松本の作品は、展覧会1週目では壁面に展示されたが、2週目では床や机上に展示された。これにより観客はストリートビューを見るときのような、あるいはスマートフォンでグーグルマップを見るときのように見下す態勢で鑑賞することになった。また、松本の絵画は中心部に消失点をもつため、床面に置かれた時には左右(上下)相称に見え、視点がさ迷う事態が見られた。この状況もまた方位や現在地を地図上で探すときの地図感覚と重なるだろう。
 一方、山城作品は、1週目は台座の上に展示されたことで、彫刻・オブジェとしての存在感が強く表れていた。絵画を上から見下す視点は鳥瞰図を思わせ、ジオラマに遊ぶ地図感覚を喚起する展示であった。2週目では壁面に展示されたことで、絵画としての色彩、空間性が現れ、絵画と地図の両義性があらわれた空間となった。このように、2週間の会期中、展示作品はまったく変化していないにも関わらず、作品の展示形式を入れ替えることで、異なる展示空間が表れることになった。これは、絵画と地図における鑑賞・閲覧の視点の変化を、垂直(俯瞰)と水平という2つの見方を試みたことに理由があろう。

 

 そもそも地図の起源を辿ると、かつては絵図と呼ばれ、それ以前は「絵」であった。絵画と地図に共通するのは、「描写」という点である【註2】。17世紀においては、植物図、地図、地勢図、服飾図案などは画家の仕事であり、地理学者といえば「世界を描写する人という意味に理解されて」【註3】いた。さらに、オランダ語で「風景」を意味するlandschapの言葉は、測量士の計測、芸術家の表現したものの双方に使われていたという。人々は、絵画に地図を見いだし、地図に絵画を見てきたとも言えるだろう。若林幹夫は、「地図が表現する世界とは、「世界そのもの」などではなく「人間にとっての世界」、人間によって見られ、読み取られ、解釈された「意味としての世界」である」【註4】と述べているが、ここでの「地図」を「絵画」に読み替えても通じるだろう。絵画は、「世界そのもの」ではなく、人間の感覚・解釈によってつくられた「意味としての世界」なのだ。本展の展示は地図感覚をテーマとして掲げてはいるが、見る者に問われているのは「絵画感覚」なのである。

 

 

【註1】Sound navigation and rangingの略称で、水中音波探知装置を意味する。水中音波によって、海底の距離や測位、状況を探知する装置のこと。


【註2】詳しくは、スヴェトラーナ・アルパース著『描写の芸術 17世紀オランダ絵画』(幸福輝訳、ありな書房、1993年)を参照。


【註3】スヴェトラーナ・アルパース『描写の芸術 17世紀オランダ絵画』幸福輝訳、ありな書房、1993年、p.136


【註4】若林幹夫『増補 地図の想像力』河出書房新社(河出文庫)、2009年、p.61