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Artificial S 5 心臓よりゆく矢は月のほうへ
麥生田兵吾

2018.9.7. ~ 9.24.

Exhibition View

10 images

Statement


母の漕ぐ自転車の後ろで、彼女の背に強くつかまりながら息子は月を見上げている。
母の若い足がどれほど自転車を進めても、夜空の月は息子を追う。息子だけを追う。
追う月は、彼をじっと見ている。その眼差しは、池に映るのと同じように、彼の心にも映し出されてた。
空と心にと、月がふたつになった。
月がふたつになったこの事を、だれが見つけることができるだろうか。
彼自身にも月がふたつになったことは、わからない。
彼は、月がふたつ、なんて馬鹿げたことは思わない。
ただ「(私は)月だ」と思っていた。
月は「月が」と叫んでいた。
母の背に。

 

いずれ街の軒や木々が、息子と月とを隠してしまう。
眼差しが断たれる瞬間、空の無い夜以上の暗さが世界を満たすだろう。
だけどそんな暗さはほんの一瞬の出来事で、すぐにもとの明るさにもどるだろう。
道、家、電柱、自動販売機、商店、草むら、犬の糞、、ひとつひとつ判別のできる明るさがもどる。
暗さの中に、明るさがともる。
暗さ。明るさ。
暗さ。

 

暗さが心に残っている。
明るさの内に暗さが隠れている。

 

彼は、いずれ、その暗さの中に母も自分も飲み込まれる事を予感する。

 

いずれ?
月が言わない。

 

予感なんて。決定的に感じ損ねている。
今まさに息子は暗さに中にいる。息子は気づきようもない。
母の疾走する自転車は息子を乗せて、その暗闇に止まっている。
道は、家に溶けて、電柱に溶けて、自動販売機に溶けて、商店に溶けて、草むらに溶けて、犬の糞に溶けて、
全ては暗さに溶けている。

 

”溶けて、”のコピー&ペーストは、左から右へ、右から左へ、上から下へ、下から上へ、
右手と左手は何も掴まないままに、、溶けて、、溶けて、、溶けて、、溶けて、、溶けて、、

 

息子は”溶けて、”ない。それは息子に眼差しを与えない。
息子は、見る。
息子は、「ぼく!」とさけぶ。私のモノ!と叫ぶ。

 

月は目を閉じる。

 

わたしの道、わたしの家、わたしの電柱、わたしの自動販売機、わたしの商店、わたしの草むら、わたしの犬の糞、

 

”わたしの”のコピー&ペーストは、左から右へ、右から左へ、上から下へ、下から上へ、
右手と左手は何も掴まないままに、、わたしの、わたしの、わたしの、わたしの、わたしの、

 

うるさい!
ちがう。

 

わたし、は目を閉じられる。

 

母は振り向く。

 

ばいばい おかあさん。


麥生田 兵吾

About

 麥生田兵吾(むぎゅうだ・ひょうご/1976年・大阪生まれ)は主題として「 Artificial S 」掲げます。この大文字の「 S 」は “Sense=感覚(感性)” ”Subject=主体” あるいはエスは ”Es=無意識” などの複数の意を持ち、「Artificial S」とは「人間の手によりつくられた、人間が獲得し得る ”それら S”」として位置付けられています。また麥生田はこの「S」の探求・実験・鍛錬として、自身が撮影した写真をその日のうちにウェブサイト「pile of photographys」(http://hyogom.com)にアップする行為を、2010年1月より現在まで8年以上に渡って、毎日途切れることなく続けています。

 麥生田は「Artificial S」を1~5章に分類しており、これまでPARCでは連続4年に渡って各章ごとに展覧会を開催してきました。なるもの」に触れる』に取り組みました。2014年の「Artificial S 2 / Daemon」では、目の前の漠然としたイメージ(図像)が鑑賞者の内にあるイメージ(想像)と結合し、ひとつのイメージ(意味)を形成する経験によって『わたしに内在する原初的なイメージ(=自我)の発見』を、2015年の「 Artificial S 3 / 後ろから誰か(他の)がやってくる 」では、鑑賞者(レンズ)を見つめる無数のポートレートと、鑑賞者の眼差しの交錯に『見る / 見られる、主体と客体の発見と微かな疑い』を、2017年の「Artificial S 4 / 左手に左目|右目に右手」では、『「私」の眼差しに交錯する主体・客体の埋没した関係性の発見』をテーマに取り組まれたものです。そして、この一連の取り組みは、「S 1」において白(無)の世界に生じた「watashi」(生)という黒いシミは、「S 2」において「わたし」という自我(カタチ)を獲得し、「S 3」では他者の眼差し(の中にある「私」)を発見し、「S 4」では風景(世界)が「私」と「他者」の眼差しが連続・反復することで現れていることの発見、また同時に「watashi / わたし / 私」はそもそも不在なのではないかへの疑念を抱く、というベクトルとしてイメージすることができます。

 本展「Artificial S 5 / 心臓よりゆく矢は月のほうへ」は「死や虚無」をテーマに持つものですが、それは社会的制度に定義される通常化された死ではなく、『「私」のありかを問うことで視覚の世界に折りたたまれたものを思考し想像し、「今=死」を起こさせる』ことを目的に取り組まれるものです。
 白だった世界に拡がった「watashi / わたし / 私」というシミは、だからこそカタチを持ち、いつしかそこを真っ黒に塗りつぶしました。そして今度はそこに白(死)のシミを発見する。では、この白・黒の世界で「watashi / わたし / 私」は何か? 白・黒の生じる先(生より向こう、死より向こう)は何か? この地平・構造の奥には何があるのか?

 麥生田は、「S 5」において、まず「見る(私)という主体を疑うこと」について、「目を閉じてみる」ことを写真によって促します。そして、そこに生じる「死」を通して、「私はつくられた私であって本当のわたしはもっと内に、もっと奥にあるのではないか」という「今(現在)」への疑問に触れ、またその先に「生」への希望を探し出そうとします。
 5年に渡り「 Artificial S 」という主題に迫り、あるいはその向こうに眼差しを向ける麥生田兵吾の現在を(目を開き・目を閉じ)体験いただければ幸いです。