習慣・歴史・習俗をはじめとした過去から現在にわたる人間の営為とその痕跡と向き合い、そのメディウムやコンテクストを通じて多様な関係性を彫刻化する作品を制作。そして、彫刻化した作品を対象の“平衡”状態と見なし、その“平衡”を空間に配置する。鑑賞者が私たちの示す“平衡”と対峙するプロセスを通して現代社会に介入し、多様な次元を持つ関係性を構築する。
人間の社会はいつも、外部から来る「異なるもの」(異変・異物・異人など)を頭ごなしに拒否はしない。日常は揺らぎ、違和感や戸惑いや不都合が空間を漂う中で、しかし社会はまずはそれを一度受け入れる。そして解釈と理解を試み、落ち着きを取り戻そうとする。それは大きな深呼吸のようであり、そうして社会はまた自然と平衡に向かっていく。
書物や口承文芸に刻まれた歌や伝説、教訓などの昔話には、そうした社会の「呼吸のリアリティ」が内在している。それは社会的な「異」との接触から、落ち着きを取り戻そうとした社会のあり様の、遠い過去からの伝達である。
私たちもまたそうした深呼吸のように彫刻をつくる。昔話に登場するモチーフやオブジェや背景などの要素を収集し、息を吸いこむように取り込んでいく。そして、それらをコラージュやパフォーマンスによる追体験などにより、身体的に同調していくプロセスを経て彫刻をカタチづくる。そこには昔話よりもさらに抽象的な存在として現在の社会に介入し、不特定多数に広がっていく、いわば歌い・語り・書き記すというもっともプリミティブな「伝達」そのものとしての彫刻が立ち上がってくる。
本作は、私たちの一貫したテーマ「豊饒史の構築」のための一つに位置づけられる。「豊饒史」とは端的に言うと「豊かさとは何か」を問う独自の概念である。やがて失われる過去のために、来るべき未来のために、私たちが打ち立てる「彫刻」という考察である。この考察は社会の呼吸のプロセスの中にこそ豊饒なるものが潜んでいるのではないか、そしてそのプロセスを伝達するプリミティブな行為にこそ人間社会の本質が内在しているのではないか、という問いに対するものである。
以上は2017年に日本・韓国での巡回展としておこなった展覧会「深呼吸」のステイトメントである。本展ではこの「深呼吸」で発表した作品に新たな視点から手を加え、その再構成・再構築をおこなうものである。これは、いわば彫刻としての捉え直しの行為であり、過去に拾い集め、彫刻化した際に用いたオブジェクトを、新たな視点でもう一度眺め直すものである。この新たな視点とは、オブジェクトが移動していく舞台としての「市場」や「交換」という場のイメージであり、集められたオブジェクトとそれによって構成される彫刻を、その舞台のもとでふたたび「彫刻し直す」ことへの試みである。
オブジェクトがやりとりされ、移動するその舞台は、異なる思惑、異なる価値観の人と人、異なるシステムの社会と社会が折衝し合い、平衡を取ろうとする社会的な場に他ならない。
本展では、過去に拾い集め、彫刻化した際に用いたオブジェクトを、その舞台の上でもう一度眺め直すものである。これは歴史的文脈に基づいて収集されたオブジェクトに、それを手に取ったときの姿・形・色・香り、そして「馴染みのよさ」といった価値、あるいはそれらを造形の一部に使用するときの機能性や実用性を無意識に感じていたことに、今ここで立ち返る行為ともいえる。本展では、自らが収集したオブジェクトに宿る「市場」の要素に意識的になろうとしている。そして、その自覚のもとで再構築された彫刻は、たとえば実用的な”らしい物”として作品の二重化をももたらすのではないだろうか。
一度作品化した既存の彫刻に対して手を加え、コラージュし、再構築することによって、その価値や評価は転換しうる存在になる。その転換は決して制作者本人の意向の下で行われない。そうしたことは、「市場」における”需要の発生と消失”(流行による大量生産、在庫の発生など)や”実用性の発生”(商人の目利きなど)、そして"いま私たちが手に取るに至る理由"といったことと関連づいてくるのかもしれない。
社会的「深呼吸」という概念とコンセプトは、再構築された彫刻を通していったいどのようなことを顕在化させるのか。これは「豊穣史の構築」のためにアプローチしてきた「物質ー精神の平衡」について、より物質の視点に立脚した考察である。
Yukawa-Nakayasu