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Exhibition info

大学協力展:愛知県立芸術大学

Lagrangian point -Drive on the Halfway-
佐藤 久美子
都築 遼子

2017.2.7. 〜 2.19.

Exhibition View

About

 本展はGallery PARCの会場提供による大学協力展として開催するもので、愛知県立芸術大学油画専攻の在学および卒業生による展覧会として、同大学准教授を務める美術家・大﨑のぶゆきにより企画されたもので、日本の中間地点「愛知」という場所を「ラグランジュポイント」と名付け、そこに浮かび上がる表現から彼らの思考や視点を知り、考察を進める試みとなります。
 2014年の「ラグランジュポイント」以降、2015年の「パースペクティブカスタマイズ」、2016年の「トゥー・フォーム」に続く4回目となる今回は、その副題を「ドライブ オン ザ ハーフウェイ」として「より流動的でプリミティブな様態の表出」をコンセプトに、表現としてはまだまだ未分化な若い作家を取り上げます。
 動物や山への興味から狩猟の現場に赴き、そこでの経験を設計図のようなドローイングからインスタレーションへと展開させる佐藤久美子。水性ペンの無意識的な線によるドローイングを再構築した版画作品を制作する都築遼子。「発見と表現」の道半ばにあるともいえるこの二人のドローイング作品を通して、未分化であることの魅力や可能性、あるいは葛藤やもどかしさを目撃いただければ幸いです。

 

【主催・企画】愛知県立芸術大学 大﨑研究室
【オーガナイズ】大﨑 のぶゆき(愛知県立芸術大学准教授 / 美術家)
【協 力】Gallery PARC

 

Introduction

ラグランジュポイント
-ドライブ オン ザ ハーフウェイ-

 

 本展は、愛知県立芸術大学油画専攻の在学および卒業生による展覧会として企画したものであり、彼らが日本の中間地点「愛知」という場所で思考したこと、表現しつつあるものを紹介することで彼らの「視点」を考察する試みです。 

 これまでの過去3回、表現の強度を練り上げつつある卒業生や在校生達を紹介してきましたが、4回目となる本展では「より流動的でプリミティブな様態の表出」をコンセプトに、「何かを発見し始めた(ような)」作家・作品を紹介する展覧会として、その出品者をあえて2名の学部生に絞って企画しました。都築遼子は紙に水性ペンで無意識的な線を走らせてドローイングを描き、それらを再構築した版画作品を制作しています。佐藤久美子は動物や山への興味が転じて狩猟の現場に足繁く通い、そこで経験したり感じたりしたことを、まるで設計図のようなドローイング作品を経て立体やインスタレーションへと展開させていきます。

 この2人に共通することは、言葉に出来ない思考をどう形にするかという葛藤をそれぞれに適したドローイングから作品へと昇華している点です。なんともいえない未分化なものを抱えた彼女らが、それぞれ「何かを発見しつつある」ように感じながらも、それが「いったい何かわからない」という様態を目撃してみる。本展ではそのような見地から関西でも関東でもない日本の中間地点の魅力を探りたいと思っています。

 

※ラグランジュポイント/天体力学で円制限三体問題の5つの平衡解。

 

 都築遼子は自身の好きなもののひとつである<フォログラムシート>から着想を得て、この「キラキラ光る何か」をなんとかして絵にできないかとのいう試みから現在の作品に至っている。「キラキラ光る何か」というカタチのないものを描くために、即興的にドローイングを行い、そこに生まれた線や形を再構築してシルクスクリーンで描き出している。この行程の中で「カタチのない何か」が視覚化され、認識されるイメージとして作品になっていくのだが、鑑賞者にとってその作品は絵画的造形性や絵画空間として認知可能であり、「カタチがないが、なんかある」という存在に対する試みと表現として視覚的な楽しみを見出すことができる。 

 

 ただ、ここでちゃぶ台をひっくり返すようであるが、私にとってこの作品の面白さは実はそこではない。つまるところ、出てきたイメージそのものはやはり本質的に意味がなく、「カタチがないが、なんかあるもの」を表現するというゲームから遭遇する行き当たりばったり的な面白さや、出会いそのものが作品を成立させる本質であるように感じているからだ。無意識的に出てきたドローイングがフォログラムシートの乱反射のように、とりあえず画面に定着される。光の角度が少し変わっただけで別の形が現れてくるように異った線が立ち現れる。その即興的でめまぐるしく変化するドローイングを、非常にまわりくどい「版画」という方法論でまるでハイスピードカメラの映像のように、スローモーション的に画面に定着させているのである。この方法は、「カタチがないが、なんかあるもの」を描く感覚を翻訳する行為であり、そこで出会う新しい「何か」を身体を通して追体験させる行為そのものではないのだろうかと思っている。 

 

 現在3年生に在籍する佐藤久美子は生き物への興味から作品を制作している。佐藤は大学に入学する以前、動物園や富裕層がおもな客層であるというペットショップ(いわゆる珍獣を扱う)に勤務した経緯を持っており、現在ではよく狩猟へ出かけている。それは元々動物の骨を譲って欲しくて、たまたまwebのブログで見つけた人物にアクセスしたら狩猟の現場に行くことになった、と本人は語っていたのだが、ともあれそこから山の面白さ、狩猟の面白さに惹かれていったようだ。 

 

 今回出品している作品《首ふりのための習作》は、動物の動きについて本人的に考察したドローイングとオブジェで構成される。それらはあくまでも佐藤自身の感覚と興味から出発したカタチや動きのイメージであり、解剖学や動物学の方法論を踏襲しているわけではない。たとえば畳の上のスペースに吊るされているストッキングとハンガーでつくられたモビール状のオブジェは「イノシシ」だったりするのだが、このように多くは本人以外の他者にとって解読不可能な造形として提示されている。佐藤は「人間」から見た(認識される)「生き物」ではなく、「生き物にとって生き物とは?」という眼差しを表現しようと試みる。また罠を仕掛ける狩猟の経験は「動物から見た世界」を想像させ、私たちから見る世界とは異なった世界を想像させてくれるのだ。

大﨑 のぶゆき/美術家