私は、土地・場所と人との関係を俯瞰的に探るために山をフィールドワークの拠点とし、そこから臨む風景を地,図として捉え、今・ここにいるという意識を立ち上がらせることを作品制作の基軸としている。
現在、人の存在と強く結びつけられた「場所」の意味が大きな変容を遂げようとしている。
「場所」や「記憶」、「領域」や「地図」をめぐる問題について考えるとき、私はそこに介在する「視線」に着目することを促すために、ある種の「境界」とされる領域からの眼差しによる俯瞰的な地図を、イメージとして顕在化させることを試みる。
そのイメージは、周囲との関係や自らの立ち位置をも俯, 瞰的に捉えることを可能にし、世界との距離、また関わり方を確認することに繋がるのではないだろうか。手掛かりとして、点と点を繋いでいくように、土地と人との狭間にある「記憶」を辿り、線を引いていく。山道を一歩一歩と登り徐々に視界が開けていくように、いつしか私と世界との関係性の地図が見えてくる。
流れ山 Flowing mountain
あなたと私、向こうとこちらとの間には距離や認識の差異が存在することを予め理解した上で、鳥瞰図のような山の上を歩いて行く。
私はこれを「富士山」と認識して描くが、人はそもそも山だとも思わないかもしれない。
その “ 山のようなモノ ” を目の前にしたとき、あなたは何を想い描くのだろうか。
昨日見た海の波しぶきかもしれないし、遠い昔に体験した雪山登山の景色かもしれない。
何かに想いを馳せながらそれぞれの記憶を辿り、足跡を残すように場に介入していくことは、定着した固有のイメージを改めて捉え直し、その像を更新していくことではないだろうか。
万物は常に流動するように、イメージも変容し、風景の中に新たに地図が描き加えられる。
床の上の絵画が、個々の記憶の中のイメージを供給し、 とめどなく拡がるそれらを納める器のように、そして、あなたと私の境に存在するものを示唆するように、空間の中で機能することを願う。
来田 広大