Top

Previous page

Artist info

志村 茉那美
Shimura Manami

Exhibition View

4 images

Works

Statement

幼少期に学校で教えられた「普通」に私の⽣まれ育った家庭はいつだって当てはまらなくて、幼い私にとって「普通」や「平凡」は、とてつもなく⾼くて⼿の届かないところにある、遠い存在だった。その頃は「普通」が誰かの主観に過ぎないことを教えてくれる⼈なんて周囲に誰もいなくて、また、「普通」ではない環境で⽣きる術を教えてくれる⼈もいなかった。
中学⽣のとき、ある先⽣に「あなたがそういう家庭で⽣まれ育ったことはとても不幸だ」と⾔われて、ああ私はいま不幸なんだな、とその時はじめて思った。私は確かに普通ではない家庭で育ったかもしれないけれど、⾃分⾃⾝の事を不幸だと感じたことはそれまで⼀度もなかった。その⽇を境に「不幸」になってしまった私は学校へ⾏くことがだんだんと苦しくなってしまって、ネットで適当に知り合 った不特定多数の⼈と会ったり、意味もなく街を彷徨ったり、布団に潜ってひたすら⼩説を読んだりして過ごすことが増えた。学校でも家でもないどこかであれば⾃分も「普通に」「幸せに」⽣きられるのではないかと、⼼の⽚隅で期待していたのだと思う。
物語を開くと、そこにはたくさんの「普通」に当てはまらない⼈々が⽣きていた。はみ出しているのは⾃分だけではないのだと思ったら、なんだかいつもより少しだけうまく息が吸える気がした。⽇常の何気ない景⾊の中にも普通でない物語がたくさん存在すること、普通でないことは必ずしも不幸ではないこと、そして私が今まで信じていた「普通」が物語によってかたちづくられた虚像でしかないということも、すべて物語が教えてくれた。今思えば、私の事を不幸だと⾔い放った先⽣も、ただ単に「普通」の外側にある物語を知らなかっただけなのかもしれない。私たちは⾃分の幸せを⾃分で決めるという当たり前のことが、なぜだか当たり前にできなかったりする。
実際には経験し得ない出来事も、物語の中であれば⼈はそれを経験することが出来る。⼀⽅、⼈は⾃分が実際に経験した出来事も物語を通せば第三者の出来事として俯瞰して⾒つめることができる。⼈々は物語を⾃分の⾝体と重ね合わせると同時に、切り離すこともできるのだ。それならば、差別や貧困といったあらゆる社会問題の根底にある構造を当事者に提⽰する⼿段として、「物語る」ことはある⼀つの可能性を内包しているのではないか。物語によって作り上げられた「普通」を、物語によって打ち砕くことは可能だろうか。
私の近作は、実話を題材とした物語を作り、それを CG や合成⾳声を⽤いて⺠話のようなかたちで語るという⼿法で制作されている。CG で作られたキャラクターや合成⾳声によって語られる実話は妙なリアリティーと違和感を同時に⽣み出す。それは当事者/⾮当事者の境界を曖昧にするための⼿段でもあるかもしれない。
誰が幸せで誰が不幸かなんてそれぞれの主観に他ならない。⾃分の幸せを⾒つけるためには⾃分の主観を持たなければならないし、⾃分の主観を⼿に⼊れるためにはまず既存の主観を疑わなければならない。本当の普通、なんてどこにも無いのだ。私たちには物語が必要だし、そのための物語を、私は作り続けていきたいと願っている。

CV

Biography
1995 ⽣まれ。神奈川県出⾝。
Selected Exhibition

2020
「USC Games Expo 2020」(南カルフォルニア⼤学 / ロサンゼルス, アメリカ)
「表層と深層 | Surface and Depths」(Gallery PARC / 京都)
「MEDIA PRACTICE 19-20」 (東京藝術⼤学元町中華街校舎 / 神奈川)

2019
「⾺⾞道プロジェクション 2019」(神奈川県⽴歴史博物館外壁 / 神奈川)
「GEIDAI BIBLIOSCAPE 2019」(東京藝術⼤学附属図書館 / 東京)
「OPEN STUDIO 2019」(東京藝術⼤学元町中華街校舎 / 神奈川)
「KUAD ANNUAL 2019 宇宙船地球号」(東京都美術館 / 東京)

2018
個展「⽔中花」(Café Verdi 京都造形⼤前店 / 京都)

2017
「第 16 回京都現代写真作家展(京都写真ビエンナーレ 2017)」(京都⽂化博物館 / 京都)

「旅と⽂学」(ART ZONE / 京都)
「個展「-emerge-」(Café Verdi 京都造形⼤前店 / 京都)