木の葉や落ち葉を膨大に描いた植物図鑑を思わせる絵巻やタペストリー風の絵画は、過ぎた時間や土地の記憶・記録をいまに伝え残す絵画の特性が表れていました。それは、保存修復コースで学んだ丁寧で確かな技術、模写や写生で培った観察力に支えられた作品といえます。しかし、精緻な絵画の発表プランとして、インスタレーションが相応しいのか、「現代美術」の流行や形式ありきではなく、作品の本質に即して再考する余地はありそうです。京都、福島、奈良とさまざまな土地を経てきた作家にとって、今展をこれまでの集大成とさらなる飛躍の機会とされることを願います。
平田剛志(京都国立近代美術館研究補佐員)
電子書籍やデジタルミュージアムなど、ARやデジタル技術での再現性の進化は、身体や物質からかい離した空間で生きてゆく違和感を徐々に馴染んだものにしている。将来、和紙や絵具や筆を使用して絵を描くことは希少で、材料が手に入らないかもしれない。
絵を描くことは私の日常的な行為である。写生は絵を描くための学びであり、写生した図絵は本絵を描くための手控えにもなるし、紙に描き残すことは記録でもある。
今回の展示作品の一つに、水路に流れて くる漂流物をすくい上げ、日記のように描き留めた絵画がある。上流のある時点で水路に物が落ち、私がすくい上げるまでの物語を想像しながら、漂流物に向き合った足跡が画面に展開する。物に内包される世界と、物を内包している世界を行き来しながら、手で描き残す日記のような絵画である。
先日、考古資料の保存に関わる方から、発掘された土器片の洗浄作業中に粘土を成形する際に付いた古代人の指跡が、自分の指跡とぴったり重なった瞬間に、今と変わらぬ人の営みを感じるという話を伺った。私は選んだモチーフから何かを感じ描ている。未来の人は私の筆跡を見て何を感じるだろうか。
世界は茫漠としている。
戦争、病気、災害、倫理のない漠とした世界の中で、何をして生きようか。
しかし世界は、小さな石や、葉っぱにつまっている。移ろい変化しながら、作用しあい、全てが響き合いながら等しく存在する。
心に映るひとつひとつに目を向けながら、内包する大きな世界を想像して遊ぶ。未来を祈りながら、私は絵を描きつづける。中尾 美園
|
2006年 | 京都市立芸術大学大学院美術研究科保存修復専攻修了 |
2015年 | アーティスト・イン・レジデンス「飛鳥アートヴィレッジ2014」(国営飛鳥歴史公園/奈良) |
2014年 | シェル美術賞(入選/国立新美術館/京都) |
個展「山水」(ギャラリー揺/京都) | |
2013年 | 個展「いつかの庭」(KUNST ARZT/京都) |
2008年 | 京展(館長奨励賞、同09年須田賞・芝田記念賞/京都市美術館) |
個展「One Day We'll Fly Away」(ギャラリーi/京都) | |
わざゼミ報告展(京都芸術センター/京都) | |
2006年 | 京都市立芸術大学大学院修了制作展( 「高松塚古墳壁画 模写」大学院市長賞) |
その他、仏画や水墨画等の制作、様々な分野の講師を招いてのイベント・教室を開催する会「ゆだま」をいとうひろえと主宰 |